雨の厚揚げ
冬木蓮司が社内公募の不採用を知ったのは、二十二時十四分だった。
人事システムに表示されたのは、「総合的に判断した結果」という一行だけ。企画部へ移るために、半年かけて業務改善の実績をまとめた。直属の上司には応募を伝えていたが、今日になって「今の部署に必要とされている証拠だよ」と肩を叩かれた。その手は励ますには重く、引き留めるには軽かった。蓮司は笑って礼を言い、自分の席へ戻った。
必要なら、なぜ残業を減らす人員は入らないのか。なぜ新しい仕事へ挑む機会は、必要という言葉で閉じられるのか。聞けなかった疑問だけが、雨より冷たく残った。
蓮司は傘も差さず、会社の裏手の居酒屋へ入った。濡れた上着を椅子へ掛けても、客席にほかの人影はない。
頼んだのは、厚揚げの炙り焼きだった。
網の上で表面がじりじり鳴り、醤油が落ちた瞬間に香ばしい匂いが立った。皿の厚揚げは四角い皮をきつね色に焦がし、箸で割ると白い中身から湯気がふくらんだ。
蓮司は柔らかな内側から口へ入れた。温かいが、どこか物足りない。
「焼いた面から食べると、音がしますよ」
店主が言った。
次は皮ごと噛んだ。ぱり、と小さく割れ、そのあとに豆の甘さが来た。同じ一切れなのに、入口で印象が変わった。
蓮司は不採用通知をもう一度開いた。理由が一行しかないなら、明日、自分から増やせばいい。
人事へ面談を申し込み、選考で不足していた点を聞く。上司にも、公募に関する推薦内容を確認する。それで「現部署に残すため」という答えが透けたなら、社外の求人にも同じ実績を出す。
辞めると決めたわけではない。今の部署で覚えた仕事も、助けられた人もいる。だからこそ、感情だけで全部を嫌いになりたくなかった。企画の仕事が本当に向いているかも分からない。不採用の理由を聞けば、ただ実力が足りなかったと知るかもしれない。
それでも、「必要とされている」という曖昧な言葉に、雨宿りし続けるのはやめる。
最後の厚揚げは皮が少し冷め、それでも噛むと確かな音を返した。醤油の焦げた匂いと内側の熱が、濡れた身体にゆっくり残った。