雨宿りの染料工房
雨が降るたび、藤森環の染料工房はよく働く。
樋を伝った雨水が七つの硝子槽へ分かれ、朝顔の青、茜の赤、胡桃の茶を順番に溶かす。布見本を読み取る小さな銀魚が槽を泳ぎ、注文どおりの色になれば尾で栓を叩く。染料は瓶詰めされ、仕立屋街の共同倉庫へ転送される。
環は軒下で雨を見ていればいい。
王立染織所にいた頃、紫の制服は薬品でまだらになり、爪の縁から色が抜けなかった。祝典前には七日続けて夜勤し、仮眠台で眠っている最中にも『色が一段暗い』『至急調整』という連絡が鳴った。辞めて半年たつのに、古い通信糸には未読の結び目が増え続けていた。
昼過ぎ、雨樋の銅貨受けがからんと鳴る。
《青染料十八瓶、納品済み。配合印使用料を入金》
売上は雨量で変わる。晴れの日は少ない。それでも晴れの日に休み、雨の日にも休めるだけの蓄えができていた。
通信糸が急に指へ巻きついた。元工房長の声が響く。
『戴冠式の外套が見本と違う。お前の目なら今夜中に直せる。迎えを出す』
環は、雨の向こうで自動槽が静かに赤を作るのを見た。
「見本を作ったのは私ですが、今夜を差し出す契約はもうありません」
『国の晴れ舞台だぞ』
「私の休みも、私の一日です」
糸をほどいて鋏で切ると、不思議なくらい指が軽くなった。
染織所を去ったあとも、環の指はしばらく色を失わなかった。赤を洗えば青が浮き、青を落とせば爪の奥から紫が出た。雨の日は納期が遅れる恐怖と結びつき、窓を叩く音だけで胃が縮んだ。自動槽を作ったのは、その音を取り戻すためでもある。今の雨は作業開始の合図ではあるが、彼女への命令ではない。瓶が足りなければ翌日の雨を待つ。それで困る客とは、最初から契約しなかった。晴れ間が出ても埋め合わせの徹夜はしない。天気にも人にも、昨日の遅れを今日の体で返す義務などないからだ。
環は工房の扉を閉めず、軒下の長椅子へ寝転んだ。雨粒が樋を走り、銀魚が瓶の栓を叩く。仕事の音を子守歌にして、彼女は昼寝用の薄布を顔まで掛けた。