青インクの欠番
印刷室には、青と黒のインクの匂いがこもっていた。
郡山葉名が刷り上がった同人誌を積み、瀬戸岳志がローラーを洗う。八坂澪奈は、最後の一冊だけ表紙を閉じずに眺めていた。
「葉名の詩、載ってない」と澪奈。
「抜いた」
「目次にはある」
「目次を直す時間がなかった」
二色刷りの最終号は三人の卒業制作になるはずだった。葉名は広告会社のコピー職に決まり、就職を機に詩をやめるという。
「言葉の仕事に行くのに?」と岳志。
「だからだよ。昼に商品の良さを言い切って、夜に自分の曖昧さを詩にするほど、器用じゃない」
三人が最初に刷った号は版がずれ、青い文字の横に黒い影ができていた。葉名はそれを〈言葉の残像〉と呼び、岳志は失敗だと言い張った。澪奈は最終号のずれを、わざと直していない。葉名の名前だけ青と黒に分かれ、同じ場所から別々の方向へ歩き出すように見えた。
岳志は町の活版印刷所で働く。「俺は他人の言葉を紙に押す」
澪奈は古書店の一角を借りる。「私は売れ残った本を並べる」
「二人とも、暗い未来を明るく言うね」
葉名は抜いた詩の束を鞄へ入れた。澪奈が手を押さえる。
「捨てるの?」
「燃えるごみの日は明日」
「一編だけ読ませて」
「もう読んだでしょ。三年間」
岳志は洗ったローラーを立てた。「最後の一冊だけ、空白のまま綴じよう。目次にあるのに本文がない本」
「欠陥品だよ」
「最終号らしい」
三人で糸を通す。葉名のページが入るはずだった場所へ、青いインクが一滴落ちた。指で拭うと、余白の中央に海図のような跡が広がる。
綴じ糸を切るとき、岳志は葉名の分だけ長く残した。『余った』と言ったが、澪奈は何も答えない。青い糸は本の下から細く垂れ、机の端を越えて葉名の空いた椅子へ届きそうで、届かなかった。
葉名が先に帰ったあと、彼女の椅子には詩の束ではなく、青く染まった軍手だけが残った。澪奈が最終号を閉じる。目次には葉名の名があり、指定されたページを開くと、何も書かれていない青い海だけがあった。