非公開の新曲

 ライブハウスの電源が落ちるまで、あと十五分だった。

 真鍋実璃は、誰もいない客席で朝倉玲那を待っていた。玲那はステージ上の端末から、古い音源を一つずつ削除している。

「これで最後」

 画面には〈未発表デモ 実璃〉と表示されていた。

「消して」

「分かった」

「聴かないで」

「聴かない」

 二年前、実璃は玲那にだけ、一曲のデモを送った。眠れない夜に録った、息遣いまで残る歌だった。人前に出すつもりはないと何度も書いた。

 玲那はその曲を新人コンテストへ応募した。才能を埋もれさせたくなかった、と言った。曲は入賞し、実璃には仕事が来た。玲那は彼女の夢をかなえた人になり、同時に、秘密を奪った人になった。

 授賞式では、知らない人たちが歌詞を褒めた。玲那は客席のいちばん前で泣いていた。その涙がうれしかったことまで、実璃には腹立たしかった。

 周囲は結果だけを祝った。実璃も笑った。好きだったからこそ、怒り続ければ恩知らずになる気がして、別れるしかなかった。

「削除した」

 玲那が端末を見せる。

「クラウドも?」

「全部。バックアップもない」

「信じろって?」

「信じなくていい。確認して」

 ステージへ上がる階段は一つしかない。実璃は玲那の隣で履歴を確かめた。空のフォルダに、二人の顔がぼんやり映る。

「聴いてほしかったんだよ」

 実璃は言った。

「え?」

「世間に聴かせてほしかったんじゃない。あの夜、玲那一人に聴いてほしかった」

「ごめん」

「その曲で仕事が増えたことと、裏切られたことは、別だから」

「うん」

 スタッフが残り五分と声をかけた。

 玲那が、再生ボタンから両手を離している。許可を待つという当たり前の姿が、実璃にはひどく遠回りな謝罪に見えた。

 実璃はまだ玲那を好きだった。けれど好きと言えば、勝手に公開された痛みまで成功談に編集されそうで、言えなかった。

「もう聴かない」

「違う」

 実璃は自分のスマートフォンを機内モードにし、鞄から有線イヤホンを出した。

「聴かないで、じゃない。今度は、私が聴いてと言うまで待って」

 新しい曲を再生し、片方のイヤホンを玲那へ渡す。録音は端末へ送らず、二人の耳の間だけを流れた。電源が落ちても、実璃は再生を止めなかった。