面会時間は足元から

集中治療室へ入れる影は、一人につき一つだけである。

面会者は廊下の白線で影を切り離し、十五分後に同じ場所で待つ。影が病室から持ち帰った物には触れてよいが、患者の言葉だと思ってはいけない。影が戻らなければ、面会者本人も退院まで院内に残る。

阿久瀬玲司の弟、椋は、事故から十二日間目を覚まさなかった。

医師は毎日同じ説明をし、玲司は毎日同じように頷いた。家族は二人だけだった。仕事は有給を使い切り、上司から「戻れる日だけ教えてくれ」とメッセージが来た。戻る場所があることより、期限を尋ねられることのほうがつらかった。

面会時刻になると、玲司の影は白線から離れ、ICUの自動扉をすり抜けた。本人は廊下の椅子で十五分待つ。影は日ごとに違う物を持ち帰った。最初は透明な手袋。次はベッド番号のシール。三日目は、弟が噛んだらしいスポンジ棒。看護師は「持ち帰り品ですね」と小さな封筒へ入れた。

玲司はそれらを弟の言葉だと思わないようにした。規則にそうある。けれど、手袋は子供の頃に二人で捕まえたクラゲに見え、番号シールの六は、椋が野球でつけていた背番号だった。何にでも意味を見つけられる自分が嫌になった。

十三日目、影が戻らなかった。

十五分を過ぎても、白線の向こうは明るいままだった。看護師は驚かず、玲司に簡易ベッドと院内着を渡した。規則どおり、彼も退院まで残る。会社へは看護師が「影未帰還」と記載した証明書を送った。

夜、ICUの扉の下から黒い腕が伸びた。玲司の影だった。踵へは戻らず、廊下を先に歩いていく。影が向かったのは非常階段だった。患者の影以外は病棟を出てはいけない。玲司は追いかけ、途中で立ち止まった。呼び戻す規則はない。

影は階段を一階まで下り、自動販売機の前で止まった。椋が事故の朝に買ったのと同じレモン飲料が並んでいた。影は床へ何かを置き、病棟へ戻っていく。

玲司が拾ったのは、点滴チューブを留める青いクリップだった。表面に雨粒がついている。院内は一日中乾いていた。

翌朝、椋のベッドは空になった。退院ではなかった。玲司の影は足元へ戻っていた。

自販機の取り出し口には、未開封のレモン飲料が一本あり、その細い影だけが病棟の方角へ伸びていた。