顔を返す剣
フェンナは死者の頬から泥を拭った。
戦いは終わっていた。敵将も味方の旗手も、同じ雨の下で動かない。弟は胸を貫かれ、目だけを開いたまま空を見ている。
「一人なら返せる」
老従軍医が、彼女の腰の剣を見た。
《面返し》は死者を蘇らせる。ただし命の代価に顔を交換する。使い手は死者の顔になり、死者は使い手の顔で戻る。声も記憶も変わらない。だから昔、この剣で夫を戻した妻は、夫の顔で生涯を過ごし、夫は妻の顔を鏡で見るたび泣いたという。
軍では顔が身分そのものだった。門番は印章より頬の傷を信じ、仲間は兜の隙間の目で味方を見分ける。顔を替えるとは、姿を失うだけではない。生きて帰る権利を、死者へ譲ることだった。
フェンナは弟の手を握った。幼いころからよく似ていない姉弟だった。弟は丸い目、彼女は細い目。弟は人懐こく、彼女は笑うのが下手だった。
「それでもいい」
剣先で自分の頬を浅く切り、次に弟の頬へ触れる。血が一本の糸になり、二人の顔を結んだ。
刃が脈打つ。
骨がきしみ、皮膚が熱を持つ。フェンナは叫んだが、その声は変わらない。変わったのは目の高さ、頬骨、唇の形だった。目の前の死者の顔も、粘土のようにゆっくり組み替わる。
弟が息を吸った。
「姉さん?」
起き上がった彼は、フェンナの顔をしていた。細い目から涙を流し、姉の声でなく自分の声を出す。
フェンナは笑おうとした。けれど弟の丸い唇が動くのを見ているようで、うまくできない。
「帰ろう」
二人は雨の野を歩き始めた。
陣地の入口で、見張りが槍を構えた。彼らが知っているフェンナの顔は弟についている。弟の顔で近づく彼女は、名簿ではすでに死者だった。
「止まれ。そこの女は通す。男の死体は置いていけ」
弟が「違う」と叫ぶ。だが見張りは、姉の顔をした者の言葉しか信じない。
フェンナは弟を押し、先に門をくぐらせた。
彼は振り返った。自分の顔をした姉が、雨の外に立っている。
その瞬間、蘇ったのがどちらで、死者になったのがどちらか、二人にも分からなくなった。