魔法のない釣り針

宮廷錬金術師だったナディアは、魔力を失った日に辺境へ追放された。

「錬成できない錬金術師など、ただの女だ」

そう言われて与えられた土地には、浅い池と壊れた納屋があるだけだった。納屋の棚には、真鍮の釣り針が一本。先端が潰れ、このままでは魚の口へ掛からない。

ナディアは今日の仕事を、その針を直すことに決めた。

火属性の錬成が使えれば一瞬だ。だが指先に魔力は灯らない。彼女は小石を砥石代わりにし、真鍮を少しずつ削った。角度を変えては爪へ当て、引っかかりを確かめる。王都で賢者の石を作った夜より、ずっと時間がかかった。

指には小さな豆ができた。完璧な錬成陣を描いても拍手一つしなかった同僚たちを思い出し、ナディアはその痛みを親指で確かめた。これは誰にも奪えない、自分の作業の跡だった。

それでも夕方には、針先が夕日を細く返した。

糸を結び、畑予定地から掘り出した蚯蚓を餌にして池へ投げる。錬金薬で魚を眠らせることも、匂いを増幅することもできない。ただ浮きを眺めて待った。

待つことは不思議だった。成果を急かす審査官も、失敗を記録する書記もいない。水面へ落ちた木の葉が池を半周した頃、浮きが横へ走った。

釣れたのは、金でも宝石でもない一匹の鮒だった。

ナディアは笑った。無から黄金を生み出したとき、貴族たちは配合を盗もうとした。今、この魚を欲しがる者は誰もいない。だから全部、自分のものだった。

小鍋へ池の水ではなく井戸の残り水を入れ、鮒と野草を煮る。灰汁をすくい、塩をひとつまみ。脂の浮いた汁から白い湯気が上がり、土と薪の匂いへ混ざった。

王立研究院からの手紙は、食べ始める直前に届いた。新しい賢者の石が暴走し、止め方を教えろとあるらしい。使者が読み上げようとしたが、ナディアは手で制した。

「魔法のない女は、夕食中なの」

椀を口へ運ぶ。鮒の出汁は地味で、少し泥臭く、それでも体の芯まで温かかった。

潰れていた針は、窓辺で静かに光っている。直せたものが一つある。それだけで、明日もここで暮らせる気がした。