黒鍵の合鍵
利根川悠槻は、祖父の死後、山間の旧家と黒い鉄鍵を相続した。二十八歳。鍵は錆びているのに手の脂を弾き、どの扉にも合わなかった。
遺言書の封筒には、財産目録より大きな字で一つだけ書かれている。
《黒い鍵の合鍵を作ってはいけない》
祖父は鍵を「家の長男」と呼び、食卓へ一席を用意していたという。悠槻の父は長男だったが、家を出てから行方不明になった。親族は鍵と関係があると囁いた。
蔵の鍵台帳には、黒鍵を複製した年だけ家族が二人ずつ記録されている。《原本》は家に残り、《合鍵》は町で暮らした。ところが戸籍に残るのは原本だけで、外へ出た者の写真には胸元へ小さな鍵穴が写っていた。父の写真も同じだった。
悠槻は迷信より、開かない蔵の中身が気になった。駅前の無人合鍵機には三次元スキャン機能がある。原鍵を差し込むと、機械は《生体形状を検出》と表示した。中止ボタンを押しても戻らない。
一度だけコピーを作ると、吐き出された鍵は人肌ほど温かかった。機械のレシートには商品名の代わりに《利根川悠槻・複製一体》、保証期間の代わりに彼の生年月日から今日までの日数が印字されていた。歯の部分は金属ではなく、奥歯の並びに似ていた。
旧家へ戻ると、黒鍵は玄関にも蔵にも合わないままだった。ところが複製鍵を東京の自宅ドアへ差すと、スマートロックが解除された。室内には祖父の箪笥と仏壇が置かれ、自分の家具は消えている。仏壇の遺影は父ではなく悠槻だった。
合鍵を捨て、ホテルへ逃げた。翌朝、スマートロックの家族設定に新しい利用者が追加されていた。
《黒鍵 続柄:長男》
《利根川悠槻 続柄:合鍵》
削除しようとすると、指紋認証が通らない。代わりに黒鍵を画面へ近づけた瞬間、本人確認が完了した。
昼、通販アプリから配達完了通知が来た。届け先は山間の旧家。証拠写真には、縁側に座る悠槻が写っている。彼はホテルのベッドにいた。
通知の末尾には、配達員のメモがあった。
《ご本人ではなく、原本の方へ手渡しました》