黙ったままください
その店の黒板には、こう書いてあった。
《口にした願いは売り切れます》
ぼくは読めない字が二つあったので、店のおばあさんに聞こうとした。でも、しゃべったら願いまで売り切れそうで、やめた。
ポケットには、病院でもらった紙が入っていた。お母さんの手術が何時から何時までか書いてある。難しい漢字ばかりで、ぼくに分かるのは名前だけだった。
おばあさんが聞いた。
「何がほしいの」
ぼくは口を閉じた。
「色は?」
首を振った。
「大きいもの? 小さいもの?」
分からない。お母さんが元気になることは大きいのか、小さいのか。
ぼくはランドセルから算数のノートを出した。願いを書けばいいと思ったのだ。でも鉛筆を持つと、《お母さんが》まで書いて手が止まった。書いたものも口にしたことになる気がした。
紙を破り、丸めた。
おばあさんは怒らなかった。代わりに、空っぽの小瓶を机に置いた。
「入れなさい」
ぼくは目を閉じた。
お母さんが朝、焦げた卵焼きを隠す顔。髪を乾かしてくれる指。ぼくの嘘に気づいているのに、わざと気づかないふりをする声。
それから、病院のベッドで眠っている顔。
全部を胸の中で言って、小瓶の蓋を閉めた。
おばあさんは瓶を棚へ置き、ぼくからビー玉を一個だけ受け取った。青い、いちばん好きなやつだった。
病院へ戻ると、手術室の前でお父さんが立っていた。
「どこへ行ってた」
ぼくは答えなかった。
赤いランプが消え、先生が出てきた。
「無事に終わりました」
お父さんがぼくを抱きしめた。痛いくらいだった。ぼくのポケットには、もうビー玉がなかった。でも、なくした感じはしなかった。
次の日、お母さんはまだ眠そうな目を開け、最初に言った。
「何をお願いしたの?」
ぼくはどきっとした。ここで言ったら、あとから売り切れてしまうかもしれない。
だから、首を振った。
「秘密」
お母さんは笑った。
その笑顔を見て、ぼくは願いが何だったのか、少し分からなくなった。
元気になってほしかったのか。
もう一度、笑ってほしかったのか。
どちらでもよかった。口にしなかったので、どちらもまだ胸の中にあった。