『二つのタイムゾーン』
オンライン最終面接の途中で、画面共有に匿名メールが現れた。
〈犬飼澪は退職時にソースコードを持ち出した。法的措置を準備している〉
採用担当の鬼頭孝成は、申し訳なさそうに首を振った。
「元勤務先からの内部通報です。技術職として採ることはできません」
犬飼は顔色を変えたが、回線を切らなかった。
もう一人の面接官、小田切梓が添付PDFを拡大した。作成時刻は午前九時十六分。表示は日本時間だが、文書内部のタイムゾーンはUTCマイナス七だった。
「元勤務先は横浜ですよね」
「海外出張中の社員が送ったのかもしれない」
鬼頭の背景には会社の会議室が映っていた。
小田切は採用システムのアクセス履歴を出した。匿名メールが届く二十分前、犬飼の非公開ポートフォリオを開いた端末がある。接続先はサンフランシスコのホテルWi-Fi。利用者は、先週まで採用イベントへ出張していた鬼頭だった。
「帰国後もVPNが残っていただけです」
「では、PDFの作成者名が〈KITO-NOTE〉なのもVPNですか」
鬼頭の映像が一瞬止まった。
匿名文書には、犬飼の前職名を一文字間違えた箇所があった。同じ誤字は、鬼頭が社内向けに作った候補者一覧にもある。さらに元勤務先へ照会したメールには、鬼頭が送った質問だけが残り、告発の返信は存在しなかった。匿名メールは外部からではなく、採用部の共有受信箱に直接作られていた。
犬飼が尋ねた。
「なぜ、そこまでして落とすんですか」
小田切は別の面接予約を示した。鬼頭の元同僚が、同じ職種の最終候補に入っていた。
採用部長が音声だけで会議へ入り、決裁を告げた。
「犬飼さんの最終評価は合格です。条件提示へ進みます。鬼頭さんはこの面接から退出してください」
鬼頭の元同僚が提出した課題ファイルにも、犬飼のポートフォリオからコピーした説明文が残っていた。ダウンロード時刻は匿名文書作成の直後で、共有者は鬼頭だった。小田切は候補者同士を競わせるのではなく、情報を渡した面接官の方を審査対象へ切り替えた。画面の隅では、鬼頭の会議室予約が管理者によって次々と取り消されていった。
二つのタイムゾーンのうち、未来へ進んだのは応募者の方だった。