スープを待つ花
御影知世のキーボードには、毎週水曜の十二時三分、小さな青紫の花が置かれた。
コワーキングスペースで席を外すのは、正午から始まる取引先との定例通話の十分間だけ。戻ると、花は白い紙に包まれ、差出人も説明もなくスペースキーの上に乗っている。
候補は、併設カフェの店員・椿野、向かいの席の建築デザイナー真鍋、各席の清掃をするコンシェルジュの室生だった。
独立して半年の知世は、昼食代より先にクラウド利用料を払う暮らしをしていた。忙しいふりをして食事を飛ばすのは、節約を説明しなくて済むからでもある。匿名の花は嬉しいのに、誰かに貧しさを見抜かれたようで、二週目までは引き出しへしまった。
知世は三週目、花を持ってカフェへ行った。椿野は驚かず、湯気の立つカップを差し出した。
「本日の豆と根菜のスープです」
椿野は「花を見せた方には渡す決まりです」とだけ言った。知世が代金を出しても受け取らない。そこで初めて、花が飾るためではなく使うために届いていたと分かった。
花はカフェの鉢で育てている食用のボリジ。包み紙は、細かな方眼が入った建築用トレーシングペーパー。そして置かれる水曜は、真鍋が外回りで不在の日だった。
「これ、真鍋さんが払っているんですね」
椿野は答えの代わりに、カップをもう少し知世へ押した。
一か月前、真鍋は予約表示を見落として知世の個室ブースを使った。知世は廊下で重要な商談を受け、雑音のせいで聞き取れなかった数字を確認するため、深夜まで資料を作り直した。真鍋は利用料を払うと言ったが、知世は「次から気をつけて」で終わらせた。
その後、彼は知世が昼食を抜くたびに気づいていた。直接おごれば断られる。そこで椿野と相談し、ボリジをスープの引換券にしたのだという。匿名なら、知世は誰への遠慮もなく受け取れると思ったらしい。
翌週、知世は花の代わりに、真鍋のキーボードへ小さな木のスプーンを置いた。
外回りから戻った彼が目を丸くする。
「来週は二人分、予約しておきました」
知世は先にスープを一口飲んだ。
「謝罪は、温かいうちにどうぞ」