ページが乾くまで
図書室を出たところで雨に追いつかれた。
借りたばかりの本を制服の中へ入れ、私は校舎脇の非常階段へ駆け込んだ。屋根はあったが風が強く、スカートの裾も靴下もすでに濡れていた。
先客がいた。いつも図書室のいちばん奥にいる人だった。
彼は私の胸元からのぞく本を見て、無言でタオルを差し出した。
「本に使っていいの?」
「人は乾くけど、本は曲がるから」
もっともらしい。
表紙を拭くと、数ページの端が湿っていた。彼は鞄から吸い取り紙を出し、一枚ずつ挟んでくれた。
「そんなもの、持ち歩いてるんだ」
「雨の日は」
「自分のため?」
「だいたい本のため」
非常階段の踊り場で、二人並んでページをめくった。雨の匂いと、紙の匂いが混ざっていた。
本の途中から、古い貸出カードが落ちた。今はバーコード管理なので使われていないものだ。十年以上前の日付と、同じ名字が何度も並んでいる。
「この人、よほど好きだったんだね」
「母さん」
彼は短く言った。
驚いて顔を見ると、少しだけ笑っていた。
「この本を探して、この学校に入った。母さんが高校のとき、何度も借りたって聞いて」
「見つけたの?」
「今日やっと。君が先に借りた」
私は慌てて本を差し出した。
「読む?」
「いい。返すまで待つ」
「でも」
「同じ本を誰かが読んでる時間も、たぶん本の続きだから」
雨はまだ強かった。
私は一ページ目を開き、声に出して読み始めた。彼は驚いたが、止めなかった。非常階段に私の声と雨音が重なった。
彼は物語の人物が出るたび、母親が好きだった場面を教えてくれた。私はまだ読んでいない先のことを言わないよう、何度も彼の袖を引いた。
三ページ読んだところで、下校時刻を知らせる放送が流れた。
「続きは?」
彼が聞いた。
「明日」
「雨じゃなくても?」
「雨じゃないほうが、本にはいいでしょ」
翌日から、私たちは放課後の図書室で一章ずつ読んだ。
あの日濡れたページだけは、乾いたあとも少し波打っている。そこを開くたび、彼は「ここから君の貸出記録」と言う。
図書カードには残らない、雨宿りから始まった記録だった。