ページの端に猫
薬袋志門は、借りた生物図録へ猫を一匹描いた。
貸し主は美術部の里瀬だった。志門が図録をなくし、実験レポートの提出に困っていると、机の下から予備を出してくれた。
「書き込み禁止」
「教科書じゃなくて図録だろ」
「だから。絵がきれいなの」
約束した。
ところが頁を開くと、里瀬自身の落書きがあった。
ミトコンドリアの横で丸くなる猫。肺胞へ頭を突っ込む猫。食物連鎖の頂点で魚をくわえる猫。
どの頁にも、教科書の図を邪魔しないよう小さく潜んでいる。
放課後、志門は図録を開いたまま笑っていた。
「何」
「書き込み禁止って言ったよな」
「それは絵」
「落書きだろ」
「猫は説明を補助してる」
「どこが」
「心臓の頁、血流の向き見て」
猫の尻尾が矢印になっていた。
悔しくなった志門は、空いている頁を探した。
遺伝の章。優性と劣性を説明するエンドウ豆の横へ、鉛筆で四本足の生き物を描く。
猫のつもりだった。
翌日、返した瞬間、里瀬はその頁を見つけた。
「何これ」
「猫」
「ジャガイモ」
「脚あるだろ」
「芽」
「耳もある」
「傷んだ部分」
里瀬は消しゴムを出した。
志門は止めようとして、手を伸ばした。
「消すの?」
「書き込み禁止」
「自分は描いてる」
「下手なのは禁止」
言い合っているところを、生物教師に見つかった。
図録を取り上げられ、二人は放課後の生物室へ呼ばれた。
教師は猫の頁を一枚ずつ見たあと、最後に志門のジャガイモを見て、長く黙った。
「これは何だ」
「猫です」
「新種か」
「里瀬はジャガイモだと」
「分類不能だな」
怒られると思ったが、教師は図録を返した。
「卒業するとき、資料室へ寄贈しろ。ただし全章に一匹ずつ完成させること」
それから二人は、毎週放課後に猫を増やした。生物室の窓が暗くなるまで図録を囲み、教師まで新しい頁を見つけるたび「ここは空いているぞ」と指差した。
志門は描く役を外され、猫の台詞を書く係になった。
卒業時、図録の最後の頁には、二人で一匹ずつ描いた猫が並んだ。
片方はどう見てもジャガイモだったが、里瀬はもう消さなかった。