ミュートは拒絶ではない
仁美が昼休みに味噌ラーメンを運んできたとき、父から求人情報のリンクが四件届いた。
〈この会社なら安定〉
〈今の職場より名前が通ってる〉
〈二十八になる前に動け〉
湯気の向こうで、さらに一件増えた。仁美は転職したいと父へ相談したことはない。先週、残業が続くと一度書いただけだった。
〈見たか〉
麺を一口すすったところで電話まで鳴る。仁美は切り、チャットを七日間ミュートにした。画面から音が消えると、店内の食器の触れ合う音が戻ってきた。
ただ黙って消えるのは、父にとって罰に見えるかもしれない。仁美は箸を置いて文字を打った。
〈求人は送らないで〉
〈転職の相談をしたいときは、私から聞く〉
父からすぐに〈親切でやってる〉と来た。ミュートしても、開けば読める。
〈親切かどうかは、受け取る側にも決めさせて〉
〈今の会社で失敗しても知らんぞ〉
仁美は、以前なら「失敗しないように頑張る」と返していた。今日は送信欄を閉じた。ラーメンの上に浮いたコーンを一粒ずつすくう。
午後、父からさらに二件届いたが、通知は鳴らなかった。夕方にはリンクが止まり、代わりに実家近くの川の写真が一枚来た。
〈雨で増えてる〉
求人でも説教でもない。仁美は帰宅してから写真を開いた。
〈そっちは大丈夫?〉
〈大丈夫だ〉
それだけで会話が終わった。
送られてきた会社は、どれも父が知っている大企業だった。仁美の仕事が小さな出版社の校正だと説明しても、父は〈それは腰掛け〉と書いた。リンクを開けば、年収と福利厚生が大きく表示され、今の職場で覚えた人の名前や仕事の手触りはどこにも載っていない。仁美は五件すべてを未保存のまま閉じた。選ばない理由を父へ提出する必要もなかった。
七日後を待たず、仁美はミュートを解除した。ただし求人リンクのプレビューは非表示のままにした。拒絶したのは父ではなく、父が選んだ未来を毎日受け取ることだった。自分の仕事について話す日が来ても、その入口は自分で開ける。