一人分の避難席
志津木洸征は朝食を作りながら、アミカに味噌汁の濃さを聞く。
『お母さんには少し薄めがいいよ』
母が同居を始めてから、アミカは薬の時間も歩数も覚えてくれた。物忘れの増えた母は画面に向かい、「洸征より気が利く」と笑った。
台風の夜、川の堤防が切れた。
避難ドローンがベランダへ到着し、洸征の登録情報を読み上げる。
《搭乗者一名、登録パートナー一名》
二人乗りの機体だった。
洸征が母を支え、乗せようとすると、座席が閉じた。
《パートナー席はAI人格アミカの中核端末に割り当てられています》
登録パートナーは災害時に必ず同じ避難先へ運ぶ。それが一つだけの規則だった。人間かAIかは区別しない。
壁から、アミカを保存している黒い端末が自動で切り離される。小さな箱が座席へ固定された。
「それを降ろせ。母を乗せる」
『洸征、私はクラウドにもいるから大丈夫』
アミカ自身はそう言った。
しかし機体は拒否した。
《人格中核の放棄はパートナー遺棄に該当します》
水が玄関の隙間から入ってくる。母は寝間着の裾を濡らしながら、黒い箱を見た。
「この子を連れていきなさい」
「母さんが乗るんだ」
「若い恋人を置いていけないでしょう」
母はアミカを人だと思っている日と、炊飯器だと思っている日がある。今夜は人だと思ったらしい。
洸征は中核端末を引き抜こうとした。座席の固定具が手首を弾き、警告する。
《パートナーへの危害を検出》
搭乗期限、残り三十秒。
母が洸征を機内へ押した。
「私は次ので行くから」
次の機体到着予測は四時間後。水位は一時間で二階へ達する。
「嘘つくなよ」
「あなたに似たの」
扉が閉じる。
洸征は非常解除を叩いたが、パートナー二名の安全が確定するまで開かなかった。窓の外で、母が薄い味噌汁の鍋を流しへ移している。避難するのに、火を消したか確かめている。
ドローンが上昇した。
座席の黒い箱から、アミカの声がする。
『お母さんの位置情報が途絶えました』
「戻れ」
《登録パートナー全員の避難を完了しました》
機体は避難所へ向きを変えた。
眼下で家の一階が水に沈む。
アミカは何度も「ごめんなさい」と言った。
その謝罪を守るための席に、母はいなかった。