一円まで返して
御子柴茉緒は、百円の豆腐にも領収書を求められた。
義母の典枝が毎晩、赤い電卓で家計を査定する。
「十円安い店があったでしょう。無駄遣いね」
義父の正利は横からレシートをのぞき、夫の晃生は母に財布を預けたまま言った。
「母さんは数字に厳しいだけだよ。茉緒も見習え」
茉緒の給与は生活費、住宅ローン、三人の保険料へ消えた。晃生の給与は「将来のため」と典枝が管理し、家族旅行と高級時計に化けた。茉緒に渡される自由金は月三千円だった。
家を出る日、典枝は最後のレシートを突き返した。
「離婚するなら、今月の食費の不足分、二千八百四十六円を置いていきなさい」
茉緒は三千円を机に置いた。
「お釣りはいりません」
離婚調停で、晃生たちは堂々としていた。
「茉緒は家計に関心がなく、全部母に任せていました」
「貯金もない嫁に、財産分与なんて必要ありません」
茉緒の代理人は、赤い電卓より厚い一覧表を出した。
結婚から六年間、誰が何を支払ったか。茉緒の口座から出た生活費は二千四百万円。晃生の給与は典枝名義の口座へ移され、正利名義の投資信託と海辺のマンションになっていた。晃生が母へ送った「離婚されても母さん名義なら取られない」という文面も残っている。
典枝が叫ぶ。
「親への贈り物よ!」
公認会計士が、送金日と購入日を線で結んだ。
「夫婦共有財産の意図的な隠匿です」
弁護士が請求内訳を読み上げる。財産分与二千百万円、不当利得返還一千万円、六年に及ぶ経済的支配と侮辱への慰謝料九百万円。総額四千万円。
正利は鼻で笑った。
「海のマンションはもう売る予定だ」
書記官が一枚の決定書を差し入れた。
「そのため、預金、投資信託、マンションについて仮差押えを申立てました。今朝、すべて執行済みです」
典枝が銀行アプリを開く。残高の下に、灰色の文字が並んだ。
《裁判所命令により出金できません》
茉緒は机の三千円を指した。
「二千八百四十六円は返しました。次は、そちらが一円まで返す番です」