一日だけの船長
粟生田耕平は、死んだ翌日の寿命を買った。
島と本土を結ぶ最後のフェリーが廃止される朝、耕平は操舵室で心臓発作を起こした。八十二歳。救命端末は死亡を宣告したが、港には「緊急一日券」が一枚残っていた。
誰かが売った二十四時間を死後三分以内に移植すれば、一日だけ生命活動を再開できる。副船長は迷った末、起動ボタンを押した。
耕平は目を開け、最初に時計を見た。
「出航に間に合うな」
医師は寝ていろと言った。耕平は聞かなかった。この便には、島を離れる最後の住民たちが乗る。五十年間、自分が運んだ人々だった。
船が岸を離れると、乗客は拍手した。耕平は放送で死亡と延命のことを告げなかった。いつも通り、波の高さと到着時刻だけを話した。
途中、幼い男の子が操舵室へ来た。
「船長さん、明日も乗る?」
「この船は今日で終わりだ」
「じゃあ船長さんは?」
耕平は答えに詰まり、「長い休みだ」と言った。
本土へ着くまでの三時間、彼は島の灯台、亡き妻の墓、崖の上の家を順に見送った。残り二十一時間を何に使うか、考えていなかった。
港には娘が待っていた。三十年前、耕平が船を優先して妻の最期に間に合わなかった日から、二人は疎遠だった。
「また仕事を選んだのね」
娘は泣きながら怒った。
耕平は言い訳をしなかった。買った一日まで船に使ったのは事実だった。
「残りは、お前が決めてくれ」
二人は町を歩いた。娘の家で孫の写真を見て、妻が好きだったうどんを食べた。夜、娘は耕平の肩にもたれ、子どものころ船酔いした話をした。耕平はほとんど覚えていなかった。船長としての航海は何千回も記録していたのに、父親としての時間は穴だらけだった。
翌朝、残り十分で港へ戻った。
廃船になるフェリーの前で、耕平は娘へ鍵を渡した。
「売った人は、誰だったの」
娘が尋ねた。
「知らん。だから返しようもない」
「じゃあ、どうするの」
耕平は海を見た。
「借りた一日を、誰かの一日にするしかない」
彼の死後、娘はフェリーを図書館へ改装した。操舵室だけは残し、入口に小さな札を掛けた。
〈一日船長室――ここで過ごす時間は、誰かが手放した時間です〉
島の子どもたちは、陸に上がった船で何年も遊んだ。耕平が買った一日は、一日で終わらなかった。