一枚の羽根が洪水を逃がす

「羽根一枚を腕の長さだけ浮かせる? 鳥に頼んだほうが早い」

風術院の卒業試験で、サルクは無能とされた。

【魔法:《羽浮かし》――視界内の羽根一枚を、一日に一度だけ腕一本ぶん上へ浮かせる】

人も荷も運べず、落下を止める力もない。サルクは王都外れの水門塔へ回された。

塔の掃除中、彼は硝子箱の羽根を何度も見上げた。古参兵は「昔の職人のお守りだ」と笑ったが、サルクは羽根の真上にだけ、鎖へ続く金具があることを覚えていた。箱の中へ鳥は入れない。

長雨の七日目、上流の堰が決壊した。

濁流は峡谷を下り、王都へ一刻で届く。非常水門を開けば地下放水路へ逃がせるが、塔の巻き上げ機は雷で焼けていた。女王フィレーネの水術でも、鉄門にのしかかる川の重さには勝てない。

古い設計図には、巻き上げ機とは別の緊急装置が描かれていた。

水門塔の最上階、硝子箱の中に白い羽根が吊られている。洪水で塔が傾くと羽根が浮き、上の金具へ触れて巨大な重石を落とす。重石の力で水門を開く仕組みだ。だが塔は新しい石壁で補強され、傾かない。階段は落雷で崩れ、箱まで登る時間もなかった。

「羽根が金具へ届けばいいのですね」

サルクは地上から、塔の細い観測窓を見上げた。硝子越しに白い羽根の先が見える。金具までは、ちょうど腕一本ぶん。

《羽浮かし》

羽根がふわりと上がった。

白い先端が金具へ触れる。小さな留め具が外れ、塔の内部で鎖が走った。岩屋ほどの重石が落下し、その力が歯車を回す。

川底の非常門が持ち上がった。

押し寄せた濁流は王都へ来る前に地下放水路へ吸い込まれ、南の乾いた遊水地へ噴き出す。市場の石畳へ届いたのは、靴底を濡らす薄い水だけだった。

卒業試験官が「昔の装置が優秀だった」と言う。

フィレーネは塔の設計図を丸め、その男の胸へ突いた。

「装置は百年そこにあった。今日、羽根を動かした者は一人だ」

女王は水門塔の銀鍵をサルクへ渡す。

「国を救う力は、水量で測らぬ。必要な留め具へ届くかで測れ」