一桶の水を十万人へ
配水人ギルザムは、桶を担いで路地を回るだけの男と笑われていた。
朝ごと共同井戸から水を汲み、老人の家、パン屋、洗濯場へ決められた量を配る。水魔法なら蛇口をひねるだけだと役所は配水組合を縮小し、彼の日当を半分にした。
技能も帳簿仕事の延長に見えた。
【名簿配水:一つの容器の飲み水を、名簿の受取人全員へ一人分ずつ届ける。必要総量は配達完了時に確定する】
水道長は「空の桶を配り終えてから量を決める気か」と笑った。
包囲軍が王都の水脈へ毒を流した日、魔法水道は一斉に黒く濁った。浄化には三日かかる。だが真夏の城内には十万人がおり、乳児と病人は夜まで保たない。
神殿の封印瓶に、清水が桶一杯だけ残っていた。水道長はそれを王城へ運び、貴族だけで分けると決める。下町の住民名簿は炉へ投げ込まれた。
ギルザムは燃え残った市民台帳を拾った。出生届、宿泊札、避難民票。王都に今いる者の名を、配水人たちは毎朝更新していたのだ。
「一桶で何人救える」
門番が槍を向ける。
「配り終えるまで、必要な量は決まりません」
ギルザムは清水の桶を天秤棒へ掛け、市民台帳を蓋の上へ置いた。そして技能を一度だけ使う。
桶から十万本の細い水糸が伸びた。寝台の杯、工房の椀、母親の掌へ、一人分ずつ同時に届く。水面は減るどころか、最後の名へ届くまで必要な分だけ深くなった。黒い水しかなかった井戸端で、子どもたちが透明な一杯を飲み干す。
水道長は自分にも寄越せと宝石杯を差し出した。しかし彼は水税を逃れるため、自分を市民台帳から外していた。水糸は杯の縁をよける。
十万人目の病人が息をつくと、桶には最初と同じ一杯だけが残った。ギルザムはそれを浄化作業員へ渡す。
市民たちは焼かれた名簿をつなぎ直し、最初の頁へ配水人の名を書き加えた。水道長は水を受け取る前に、自ら消した下町の名を一人ずつ戻すことになった。
その日から、桶を担ぐ仕事を「ただの水運び」と笑う者は王都から消えた。
《職業が【配水人】から【万民給送官】へ書き換わりました》