一番遅いハイタッチ

野球部が最後の大会で勝ったとき、マネージャーの私はベンチ裏で吐いていた。

朝から何も食べていないのに、緊張で胃が縮んだ。九回裏、一点差、二死満塁。歓声が上がり、サヨナラの走者が帰った瞬間、私は保冷箱の陰にしゃがみ込んだ。

しばらくして戻ると、ハイタッチの輪は終わっていた。

「遅い」

捕手が一人、ベンチ前で待っていた。手を上げている。

「みんな先に行ったよ」

「一人足りない」

私が手を合わせると、ぱん、と乾いた音がした。グローブ越しではない彼の手は、意外に冷たかった。

次の試合も勝ち、その次で負けた。

最後の大会が終わり、学校へ戻った夕方。グラウンドには長い影が伸びていた。三年生は一人ずつ土を持ち帰り、後輩は黙ってトンボを引いた。

私は人数分の冷たいタオルを配った。最後に捕手が来た。

「今日は遅くない」

「負けたから急がなくていい」

「勝った日だけが試合じゃない」

彼はタオルを受け取り、首にかけた。

私はスコアブックを閉じた。三年間、誰より近くで試合を見たはずなのに、自分が何を残したのか分からなかった。得点も、打率も、防御率も、全部選手の数字だ。

「マネージャーの記録ってないね」

口に出すと、彼は少し考えた。

「あるだろ」

「どこに」

彼はベンチの壁を指した。試合日程、氷の残量、洗濯当番、忘れ物一覧。私の字で埋まっている。

「これ、記録?」

「俺たちが試合できた証拠」

格好いいことを言った直後、彼はくしゃみをした。冷たいタオルを首にかけすぎたせいだ。

私は笑い、タオルを取り上げた。

「冷やしすぎ」

「じゃあ温めて」

「自分で走って」

彼はグラウンドを一周し始めた。引退したのに、フォームはいつも通りだった。

ゴール代わりのホームベースで、私は手を上げた。

彼は息を切らしながら、もう一度ハイタッチした。

それは三年間で一番遅く、最後まで残った音だった。

手のひらはすぐ離れたのに、音だけが校舎の壁へ跳ね返った。誰もいないスタンドまで届いたように思えた。