予約札のないモンブラン

千種柚季は、洋菓子店「山小屋」のショーケースに置かれたモンブランを見ていた。

細い栗のクリームが高く絞られ、その前に「予約品」と書かれた木札が立っている。柚季が諦めて別の棚へ目を移したとき、店の電話が鳴った。店主は短く応対し、受話器を置くと、木札を抜いた。

「キャンセルになりました。お買いになりますか」

柚季は頷いた。

自分のスマートフォンにも、三か月前から保存したままの物件ページがある。駅から七分、南向き、一人には少し広い部屋。恋人が「来年には一緒に住もう」と言ったので、申し込みをせず待っていた。内見だけは一人で済ませ、窓から見える銀杏並木まで好きになっていたのに、申込者名を書くところで戻ってしまった。けれど来年の話をすると、彼は忙しい、今は決められないと笑う。

店主はモンブランを箱へ入れたあと、抜いた予約札の文字を濡れ布巾で消した。木目の上に残った鉛筆の影まで、消しゴムで丁寧に落とす。札は白紙になり、別のケーキの前へ伏せて置かれた。

「予約していた人の名前は、残さないんですね」

「次に使いますから」

それだけだった。

会計をしながら、柚季は物件ページを開いた。表示は「残り一室」。不動産会社からは、今日中なら審査へ進めるとメールが来ている。恋人の返事を待つために、自分の住所まで仮押さえしていたのだと気づいた。

店主は箱へ深緑の紐を掛けたが、蝶結びにはせず、一度引けば解ける輪にした。柚季は店を出る前に、その輪へ指を入れてみた。するりとほどけ、箱はすぐ開いた。

モンブランを食べるのは帰宅してからでいい。先に申し込みフォームへ、入居者一名と入力する。緊急連絡先には姉の番号を書いた。

最後の確認画面で、恋人との将来を否定したような痛みが胸を刺した。けれど、これは彼を追い出す手続きではない。誰も予約していない自分の一年を、自分の名前で押さえるだけだ。

送信すると、受付番号が届いた。柚季は白紙になった木札を思い出しながら、ほどいた紐をもう一度、自分の手で結び直した。