二人分の残業申請

五十里圭惟の妻・雪代穂津佳は、毎月百時間近い残業を申請していた。

上司の梶尾崎弦司も、ほぼ同じ時刻まで働いていることになっていた。

「あなたより稼ぐには、これくらい働かないと」

穂津佳は、定時で帰る圭惟を“向上心がない”と笑った。だが二人の給与明細には、同じ日だけ深夜交通費と宿泊手当まで付いていた。

圭惟が不倫を指摘すると、弦司は余裕の表情を崩さなかった。

「部下と残業しただけだ。嫉妬で会社へ迷惑をかければ、君のほうが訴えられるぞ」

圭惟は会社の監査室へ、弁護士を通じて資料を提出した。

最初はオフィスの入退館ログ。二人は午後七時前に退館し、日付が変わるまで戻っていない。次は配車アプリの法人利用履歴。同じ車でホテルへ向かい、翌朝もそこから出社していた。運転手の業務日報にも、二人の名前が毎回並んでいた。

ホテルの廊下映像、部屋の二枚の鍵、宿泊者名簿。さらに穂津佳のスマートフォンには、位置情報付きの写真と、圭惟を嘲るメッセージが残っていた。データは裁判所の証拠保全手続きを経て取得されている。

監査室は二人分の残業申請を一覧化した。

架空残業、虚偽の宿泊、法人配車の私的利用。会社が余分に支払った額は、二年で一千万円を超えていた。

穂津佳は「夫婦の問題」と言った。

監査役は冷たく返す。

「会社の金で不倫をして、会社の時間として申請した時点で、会社の問題です」

弦司と穂津佳には懲戒解雇と返還請求。圭惟の代理人からは、双方へ慰謝料請求と財産仮差押えの通知が渡された。

穂津佳の両親も監査室へ来ていた。父は娘へ、実家名義の車とカードを返すよう命じ、今後の援助を断つと告げた。

「圭惟さんを安月給と笑った金が、不正な残業代だったとはな」

圭惟は何も言わず、最後の勤怠表を見た。

監査担当が二人の申請欄へ赤字で〈勤務実態なし・不正受給〉と入力する。

二人分の残業時間がゼロへ訂正された瞬間、積み上がったのは給料ではなく、返し切れない請求額だけになった。