二十三階で停止中

 最終エレベーターが二十三階で止まった。

 非常点検のため、再開まで八分。柴崎紅葉は、明日退職する東伊織と二人きりで箱のような空間に閉じ込められた。

「最後まで気まずいですね」

 伊織が言う。

「気まずくしたのは誰」

「俺です」

 半年前、紅葉は課長昇進の最終候補になった。選考会議にいた伊織は、彼女への推薦に反対した。二人が交際していると噂されれば、紅葉の実力まで疑われると思ったからだ。

 実際には付き合っていなかった。ただ、毎晩一緒に帰り、休日にも会い、どちらも言葉にしないまま好きだった。

 伊織の反対票を知った日から、紅葉は彼を避けた。昇進通知が届いた今朝も、最初に見せたい相手の席はもう段ボールだけだった。悔しいのは反対されたことより、喜びを報告できないことだった。

「公平にしたかった」

「公平なら、私の実績で判断するでしょ」

「噂から守ろうとした」

「私に言わずに?」

 天井の白い灯りが、伊織の疲れた顔を逃げ場なく照らす。明日になれば彼の社員証は使えず、同じ会議室へ入ることもない。

 階数表示の数字は動かない。逃げ場も、仕事のふりをする資料もない。

「紅葉なら、次も受かると思った」

「受かったよ。来月から課長」

「聞いた。おめでとう」

「そのおめでとうが一番嫌い」

 伊織は黙った。

 紅葉が好きと言えない理由は、彼に反対されたことだけだった。能力を疑われたのではないと頭では分かる。それでも、いちばん味方でいてほしい人が、会議室では敵の席にいた。

「公平って、便利だね」

「もう言わない」

「言って。私を特別扱いしないで」

「じゃあ、何を望んでた?」

 再開を知らせる音が鳴った。あと数秒で一階へ着く。

「公平に見てほしかった。でも、公平を言い訳にして、私のいないところで決めないでほしかった」

「うん」

「それから」

 扉が開く。警備員が、退館を急かしている。

 紅葉は先に降りたが、出口へは向かわなかった。開くボタンを押したまま伊織を見る。

「公平じゃなく、味方でいてほしかった。好きな人には」

 伊織が息を止める。

 紅葉はすぐに手を離した。扉が閉まり、最終エレベーターだけが地下へ降りていく。二人は出口へ急がず、消灯していくロビーを並んで歩き始めた。