亡霊の声が届かない四号室
死者の声を聞くハルヴェンにとって、墓地より宿屋のほうが騒がしかった。
旅人の荷に付いた祖霊。剣に残った敵兵。古い床板の下で名を呼ぶ者。目を閉じれば一斉に耳元へ寄り、眠ったふりさえ許してくれない。
王都地下墓所の調査を終えた夜、彼は宿《朝向き窓》へ来た。頬は削げ、唇は返事のしすぎで裂けている。
「一刻でいい。声の少ない場所を貸してほしい」
宿主ソナは、廊下の突き当たりにある四号室を開けた。家具は寝台一つ。東向きの窓と、灰色の漆喰壁だけがある。
「ここには、亡霊の声が届きません」
「祓うのか」
「いいえ。入室を断るだけです。客はあなた一人で十分ですから」
敷居をまたいだ瞬間、ハルヴェンは振り返った。
廊下にはまだ無数の声が渦巻いている。恨み、頼み、懺悔、意味を失った囁き。だが部屋の中へは、一音も落ちてこない。
静寂が、耳を刺した。
彼は怖くなって扉へ手を伸ばした。誰にも呼ばれないことが、これほど広いとは知らなかったのだ。ソナは閉めずに待った。
やがてハルヴェンは手を下ろし、寝台へ腰掛けた。
「朝まで、誰にも答えなくていいのか」
「宿帳には、そう書いてあります」
扉が閉まる。
残ったのは、自分の心臓と衣擦れの音だけだった。ハルヴェンは何度も耳を澄まし、その二つが命令でも嘆願でもないと確かめた。返事をしなくても続いてくれる音を、彼は久しく聞いていなかった。
その夜、四号室からは寝返り一つ聞こえなかった。廊下の亡霊たちも、敷居の前で次第に声を潜めた。
朝、ハルヴェンは十時間分の眠りを顔に戻して出てきた。裂けた唇には血色があり、誰かの囁きではなく自分の意思で言葉を選んだ。
「声は消えていない。でも、俺まで消えずに済んだ」
銀貨二枚の上に、次の墓所調査の日付を書いた予約札を重ねる。
「その夜も四号室を」
彼が外へ出ると、待っていた声が再び集まった。ハルヴェンは一度だけ深く息を吸い、今度は押し流されずに歩き出した。
ソナが東窓を開けたとき、朝風に続いて、階下のベルが澄んだ一音を上げた。