仮の音楽が消える夜

映画予告編の納品三時間前、甲斐路悠のもとへ一本の電話が入った。編集に使っていた仮の音楽は権利処理が間に合わない。今夜中に、契約済みの曲へ差し替えてほしい。

予告編は、剣がぶつかる音も、主人公が振り向く瞬間も、すべて仮曲の拍に合わせて作られていた。制作担当は「新しい曲を下に置くだけでいい」と言ったが、新曲は同じBPMでも、盛り上がる部分が二秒短い。置き換えれば、最後の題名が音のない場所へ落ちる。

曲そのものを二秒伸ばせば形だけは合う。しかし弦の上昇が途中で鈍り、主人公が決断する場面まで迷って聞こえる。予告編では、映像の長さと同じくらい、音が次へ進もうとする力が重要だった。悠は不足した二秒を曲に背負わせず、映像側の呼吸で取り戻すことにした。

悠は全カットを作り直さず、予告の中で観客が覚える四つの瞬間だけを選んだ。扉が開く、敵が笑う、剣が落ちる、題名が出る。その四点を新曲の強い拍へ移し、間の細かな映像は長さを入れ替えた。

二秒足りない場所では、主人公の「必ず戻る」という声を次の映像より先に聞かせるJカットを使った。声に引かれて画面が暗転し、その暗闇から題名が現れる。映像を水増しせず、言葉が時間を渡る形にした。

最後にラウドネスを測ると、新曲の低音が台詞を隠していた。悠は音楽全体を下げるのではなく、声が入る三か所だけ余白を作った。派手さを残しながら、約束の言葉を聞き取れるようにする。小さな端末でも聞き直し、低音だけが残らないことを確かめた。

監督は完成版を見て、「前の曲より、この映画に合っている」と言った。悠は、仮曲に合わせて徹夜した三日前の自分には聞かせたくない感想だと思った。

納品が始まり、残り時間が一時間と表示された。制作担当が安心して席を立った直後、海外部門からメールが届く。

〈台詞を使えない地域向けに、音楽だけで成立する版も必要です〉

悠は、暗闇へ渡した声の場所に印を付けた。仮の音楽は消えたが、夜はまだ残っていた。