共同の一文字

水処理膜の量産契約会議で、祝園史弥は下請け樹脂会社の開発担当として説明席にいた。塩分だけを選択的に通さない膜は、史弥の配合と元請けの成形技術を組み合わせて完成した。

ところが特許は元請け単独出願。根拠とされた共同開発契約書には、「成果に関する権利は甲単独に帰属する」とある。史弥の会社の代表印も押されていた。

史弥は契約書を照明にかざした。「単独」の二文字の下に、薄く別の線が見える。赤外線カメラで撮ると、消された文字が浮かんだ。

「甲乙共同」

元の条文は共同帰属だった。その上から修正テープを貼り、「甲単独」と印刷してある。脇には訂正印が押されているため、元請けは正式に修正したと主張した。

史弥は印鑑証明書を並べた。訂正印として使われた「技術本部長印」が会社に登録されたのは契約日の三か月後。契約当時には存在しない印だった。

元請けの本部長は、社内印の登録日は法的効力と無関係だと言った。

「では、なぜ私たちの承認印がないんですか」

共同を単独へ変えるなら、両社の合意が必要だ。修正部分には元請けの印しかない。史弥の会社が保管する原本は「共同」のままで、ページ番号と紙の透かしも一致していた。

量産先の常務は、膜一枚当たりの実施料を読み上げた。年間十億円を超える契約だった。

元請けの営業部長は史弥へ、今ここで異議を撤回すれば発注量を保証すると囁いた。

史弥は「共同」の一文字を指でなぞった。

「水から塩を分ける膜でも、共同から乙だけを分けることはできません」

史弥の会社の社長は、量産発注が消えれば工場を維持できないと震える声で言った。史弥は契約の共同帰属を守れば、元請けの製品化を妨げるつもりはないと答えた。ただし実施条件は対等に結び直す。権利を主張することと、技術を眠らせることは同じではなかった。

量産契約書へ向かっていた常務の印鑑が止まった。一文字を消した修正テープが、十億円の流れをせき止めた。