共有メモの牛乳
恋人は、牛乳を買ってきてほしいと言った。
「低脂肪じゃないほう。いつもの青いの」
牧瀬比奈子は、ベッドの脇でうなずいた。ほかに必要なものはないかと聞くと、恋人は共有している買い物メモを開いた。画面には「牛乳」だけが残っていた。
同居して五年、二人は必要なものをそのメモへ書き足し、買った人がチェックを入れてきた。洗剤、卵、トイレットペーパー。どちらが買うかは決めない。先に気づいたほうが済ませる。それだけの仕組みだった。
以前、一度だけ大げんかをした翌朝にも、恋人は「食器用スポンジ」を追加した。比奈子は口を利かないまま買い、チェックを入れた。それが仲直りの合図になった。共有メモには謝罪も約束も残らず、生活だけが続いてきた。
けれど牛乳は四日前から未完了だった。比奈子は病院へ通い、コンビニのコーヒーで済ませ、冷蔵庫をほとんど開けていない。
「明日でもいい?」
聞いた途端、自分で後悔した。明日があるかどうかを、医師は答えなかった。
恋人は責めずに、「今日、特売」と言った。
比奈子は病院を出て、家とは反対方向のスーパーへ歩いた。特売の棚には、青い牛乳が一本だけ残っていた。賞味期限は十日後。そんな先の日付を買うことに、指が止まった。
もっと小さいパックなら明日までに飲み切れる。けれど頼まれたのは、いつもの一リットルだった。
籠へ入れ、セルフレジでバーコードを通す。冷えた紙パックが買い物袋の底に立った。レシートには特売で二十円引きと印字されている。比奈子はその二十円を恋人に報告したくなった。
家に寄って冷蔵庫へ入れるか迷い、そのまま病院へ戻った。袋の持ち手が手のひらへ食い込み、牛乳の冷たさが脚に当たった。
面会時間はあと六分だった。恋人は眠っていた。比奈子は声をかけず、ベッド脇の椅子に牛乳を置いた。持ち込みは禁止かもしれないが、看護師は何も言わなかった。
スマートフォンで共有メモを開く。牛乳の文字の左に、空の丸がある。
比奈子は恋人の指を起こそうとはしなかった。いつも通り、買った自分が済ませればいい。
丸を一度押すと青いチェックに変わり、「未完了の項目はありません」と表示された。