再生速度は一倍で

柊木は、音声番組をいつも一・五倍で聴く。

声が速いほど、考え事が追いつけない。次の言葉、次の話題、次の番組。寝る前の三十分を隙間なく埋めれば、部屋の静けさに捕まらずに済む。

その夜、アプリの更新で再生速度が一倍へ戻っていた。

午前零時五十四分。天井の照明を消し、ベッド脇の小さな灯りだけを点ける。エアコンの送風口は左右へ動き、ふう、とカーテンを押す。外では雨が物干し竿へ細く当たっていた。

番組では、配信者が古い台所道具について話している。

一倍の声は、思っていたより遅かった。言葉と言葉の間に息があり、紙をめくる音があり、次の文を探す短い沈黙がある。

柊木は速度を上げようと画面へ触れた。

そのとき、配信者の向こうで時計が一度鳴った。続いて、遠くから別の人の咳が聞こえた。家族か、隣室の住人か、通りを歩く人かは分からない。配信者は説明せず、そのまま話を続けた。

コメント欄には、誰かが湯気の印を一つ送っていた。数秒後、別の誰かが同じ印を送った。会話にはならず、二つの湯気は画面の上へ流れて消えた。

柊木は指を離した。

一倍のまま聴いていると、空調の周期と声の間が少しずつずれていく。雨音も、番組の背景へ入ったり、自分の部屋へ戻ったりした。

最近、柊木は何をしても次を急いでいた。食事中に動画を見て、入浴中に返信し、眠る前に翌日の予定を整える。速く終わらせた時間が、結局どこへ行ったのか分からない。

番組が終わる。自動再生の表示が十秒から数え始めた。

十、九、八。

柊木は停止を押した。次の声は始まらない。

枕元の時計は、番組を聞き始めたときより二十二分進んでいた。数字はいつもと同じ速度なのに、追い立てるようには見えない。聞かなかった次の一本が、静かな余白として残った。

部屋には雨とエアコンだけが残る。一倍で過ぎた二十二分は長かったが、失った時間には感じなかった。柊木は灯りを消し、次の何かを再生せずに、今夜の残りをそのまま受け取った。