加湿器に月を足す
加湿器の水が減るにつれ、月は容器の底へ近づいた。
倉持はベッド脇の透明なタンクを見ていた。窓から入る月明かりが水面に映り、機械が振動するたび小さく割れる。しゅう、と白い蒸気が上がり、空調の風に押されて途中で見えなくなった。
友人たちのグループチャットは、午後十一時から静かなままだった。
倉持が「今度いつ会える?」と送ったあと、既読は四つ付いた。返信はない。忙しいだけだと分かっている。自分も返事を翌日に回すことがある。それでも、既読の数字を見つめていると、部屋の湿度まで下がるようだった。
しゅう。空調。しゅう。
タンクの水が細く揺れ、月がまた低くなる。
向かいの建物のベランダに人影が出た。パジャマらしいゆるい服で、小さなじょうろを持っている。人影は鉢へ一つずつ水を注ぎ、葉を指で確かめた。最後の鉢だけ二度水を足し、窓の中へ戻った。
誰かが深夜に植物を育てている。それだけの光景だった。こちらへ手を振ることも、顔を上げることもない。窓が閉じると、ベランダはまた月だけになった。
葉の先には、水を注いだときの雫がしばらく光っていた。朝になれば乾き、人影もそのことを忘れるだろう。夜中の世話は、誰かに見せるためでなく、鉢が今必要とする分だけ行われたように見えた。
倉持はチャット画面を閉じた。返信を待つ気持ちは消えない。けれど、既読の数字を夜中じゅう見張ることと、大切にされているかどうかは別だった。
加湿器が赤く点滅した。水切れの合図だった。
倉持は台所でコップ二杯分の水をくみ、一杯をタンクへ入れた。もう一杯は自分で半分飲んだ。機械は再び青く光り、しゅう、と蒸気を出す。月は足された水の上へ戻った。
返事が来るのは朝か、数日後かもしれない。今夜の時間を埋めるためだけに、別の話題を送らなくてもいい。
向かいのベランダでは、濡れた葉がしばらく月を返していた。水をやった人が部屋へ戻っても、葉は自分の速さで雫を落とす。送った言葉も、送り主が見張らなくても相手の画面に残る。倉持はその当たり前を、蒸気の向こうでゆっくり思い出した。
倉持はスマートフォンを伏せ、残った水を枕元へ置いた。向かいの鉢も、この部屋の空気も、それぞれの夜の分だけ湿っている。返信のない静けさの中でも、一人で喉を潤して目を閉じられそうだった。