化粧水の残り三センチ
千弦は洗面台の前で、透明な化粧水の瓶を逆さにした。残りは底から三センチ。次の給料日まで六日ある。
コットンを使うと吸われる分がもったいなくて、手のひらに直接振り出す。冷たい液を頬に押し込んだところで、スマートフォンから通知音がした。
美容系の知人が、今月買ったものを動画で紹介していた。海外ブランドの美容液、限定色のリップ、手のひらより小さいクリーム。〈肌への投資は裏切らない〉。机の上に並ぶ瓶は、どれも千弦の化粧水より重そうだった。
昼休みに鏡を見たとき、頬の毛穴が目についた。マスクを外した同僚の肌がきれいで、帰りに美容液を買おうか迷った。値札を見て、ドラッグストアを一周してから何も買わずに出た。
動画のコメント欄には「全部欲しい」「自分磨きのモチベーションになります」。千弦は自分を磨く前に、電気代の引き落としを通さなければならない。
鏡の中の顔には、目元の乾燥と、小さな吹き出物がある。乳液の容器には、指の跡が薄く残っていた。水滴が一つ、棚に落ちた。動画の光沢のある肌と比べると、手入れを怠った結果のように見えた。
けれど今日は、朝七時に起きて、満員電車に乗り、苦手な電話を三本かけた。昼食を抜かず、帰りに牛乳も買った。顔はその一日を表面で受け止めてきたのだと思うと、毛穴まで責めるのは少し酷だった。
千弦は化粧水をもう一度、今度は首にもつけた。節約しているのに多く使ってしまった、という罪悪感が浮かんだが、手のひらに残った分を肘まで伸ばした。
動画は閉じた。欲しいものリストに入れていた美容液も、今は買わない。買えないのではなく、今夜は選ばない、と言い換えた。
洗面台の蛍光灯の下では、肌は相変わらず均一ではなかった。それでも、残り三センチの化粧水はちゃんと冷たく、千弦の顔を少し落ち着かせた。
高価なものを持たない夜でも、自分の頬に触れる手つきだけは雑にしなくていい。千弦は瓶を元の場所へ戻し、キャップをきちんと閉めた。