北風水道の一冊
緋菜が北風水道の建設現場へ着くと、長さ二百メートルの溝に、使えない銅管が山積みになっていた。
設計書は七つの国から集められ、七人の翻訳官が分担している。原文では同じ部品なのに、『継ぎ輪』『接続環』『口金』『輪留め』と四通りに訳され、鍛冶場も四種類を作ってしまった。穴の直径は同じだが、ねじ山が合わない。作り直した部品は千二百個、溶かした銅は金貨八百枚分。現場では誰も設計書を信じなくなっていた。
「翻訳官を増やして急がせろ」
現場総督が怒鳴った。納期まで二日。水が来なければ、城下の三万人が乾いた井戸を覗くことになる。
緋菜は人を増やさなかった。前職で工業翻訳をしていた彼女は、薄い帳面を一冊作った。
原語、王国語、部品番号、簡単な絵。
『coupling=継ぎ輪=C-04』
一つの部品に一つの呼び名。緋菜は七人の机を回り、既に訳した設計書の該当語へ同じ朱印を押した。呼び名を変えたい者には、完成後に議論するよう告げ、今は帳面の一語だけを使わせる。講義はせず、帳面を鍛冶場と組立班の間に鎖で繋いだ。
最初の一組が運ばれる。
職人が「継ぎ輪、C-04」と叫ぶ。倉庫係が迷わず同じ印の箱を出す。銅管へ当てると、一回転、二回転、三回転でぴたりと締まった。
昨日は部品を探すだけで平均十八分。帳面を置いてからは四十秒。誤った箱が運ばれた回数は一日三十六件からゼロになった。鍛冶場も同じ番号で型を選ぶため、作り直しの炉は夕方まで一度も燃えなかった。
夜明け前、最後の管が繋がる。
総督が開門のレバーを下ろすと、山の貯水池から水が走った。管は一か所も漏れず、城下の噴水が予定より十一時間早く空へ立ち上がる。最初の桶を受けたパン屋が水を掲げ、乾いていた通りから歓声が順に上ってきた。集まった市民の歓声が溝沿いに伝わってきた。
七人の翻訳官は、誰の訳が最も美しいかまだ言い争っていた。
総督は緋菜の薄い帳面を高く掲げる。
「美しい四語より、締まる一語だ」
彼は建設局の印章を帳面の表紙へ押した。
「この用語帳を王国標準にする。緋菜、お前を全公共工事の翻訳統括に任命する」