匿名状にも送料がある
帝国使節歓迎会で、ヘレネア・ハルテナは外交侮辱の犯人として壇上へ立たされた。
婚約者ティルマン・ゼードが、皇太子を嘲る匿名状を読み上げる。
「筆跡は変えてあるが、内容を知るのはヘレネアだけだ。婚約を破棄し、使節団へ引き渡す!」
紙には署名も紋章もない。ヘレネアは文面ではなく、封筒の小さな青い点を見た。
「匿名でも、帝国郵便の特急契約は差出人を記録します」
彼女は自分の郵便契約証を封筒へ重ねた。料金印が反応し、発送時に支払った者の名だけを金文字で浮かべる。現れたのはティルマン・ゼード。証拠は、その送料記録一つだった。
「私の口座を勝手に使ったのだ!」
「特急料金は本人の声紋認証です。私には使えません」
匿名状には、ヘレネアが非公開の会談で提案した関税案まで書かれていた。ティルマンは彼女の知識を盗み、侮辱に仕立て、外交失敗の責任を押しつけるつもりだったのだ。彼女は婚約者だからと議事録を見せた自分の甘さを悔いた。しかし、信じたことは罪ではない。信頼を武器にした側が悪い。その区別をつけた瞬間、胸を締めつけていた恥がほどけた。彼女は封筒の青点を、未来へ進むための小さな港の灯のように見た。
会場の視線が逆向きになる。ティルマンは匿名状を丸めた。
「使節を試す冗談だった。君が黙るなら、婚約破棄は撤回する」
「私を外国へ差し出す冗談に、笑い方を教えていただけます?」
ヘレネアが封筒を返すと、侮辱されたはずの帝国皇太子ユージェント・オルキアが一人だけ席を立った。
「帝国では、匿名状にも送料が掛かる。そこを見落とさない外交官は貴重だ」
彼はティルマンを責め続けず、ヘレネアの前へ来る。
「帰国する使節船に、交渉官の席が一つ空いている。私の名誉を守るためでなく、あなたの能力を生かすために来てほしい」
ティルマンが腕を掴もうとする。
「お前は私の婚約者だ!」
ヘレネアは一歩引き、彼に触れさせなかった。
「その肩書を最初に捨てたのは、あなたです。拾い直す権利まであなたにはありません」
彼女は元婚約者へ背を向け、旅立つかどうかを委ねた帝国皇太子の手を取った。