十二時の秒針
久世峻吾が持ち込んだ腕時計は、金庫を運ぶようなケースに入っていた。
「明日の競売へ出す。傷ひとつ増やすな」
修理台の向こうで、乙部絹香は白手袋をつけた。百年前の天文台時計を小型化したとされる希少品で、本物なら家一軒ほどの値がつく。
「まず内部を確認し、見積もりを――」
「掃除だけでいい。女の若い職人に分解されたら価値が落ちる」
久世は店主を呼べと言った。絹香が「本日の時計師は私です」と答えると、ため息をつく。
「最近は肩書だけなら誰でも職人だ」
裏蓋を開けずとも、不自然な点はあった。十二時位置の秒針が、文字盤の印より半拍早く止まる。正規品の歯車は、設計上その動きをしない。竜頭の溝も一本多く、ケース番号の刻みだけが妙に新しかった。
絹香は診断料と、真贋確認を勧めた。
「必要ない。鑑定書ならある」
久世が見せた紙には、すでに廃業した研究所の印が押されていた。
「余計なことを言うなよ。競売会社とは話がついている。落札予想は四千万円だ。磨いて、正規整備済みとだけ書いて返せばいい」
「当店では、由来を確認できない品を競売用に整備した証明書は出せません」
「一筆くらい書け。客を失うぞ」
久世はケースを閉じ、自分で別の布を取り出して時計をこすった。
「役に立たない店だ。明日は専門家の前で恥をかくといい」
翌日、絹香は競売会場の奥にいた。
この時計の出品に疑義が出たため、主催会社から独立鑑定を依頼されていたのだ。壇上へ時計が運ばれると、久世は最前列から彼女を見つけた。
「なぜ店員がここにいる」
絹香は顕微鏡の映像を大画面へ映した。文字盤の夜光塗料は戦後製、歯車の刻印は三年前に閉鎖された模造部品工房のもの。昨日は開けなかった裏蓋も、裁判所立会いのもとで封印解除されている。
「掃除だけ頼んだ。鑑定など認めていない。出品を止めたら損害賠償だ」
「所有者の同意ではなく、競売規約に基づく出品審査です」
会場責任者が開始ベルを伏せた。
絹香は鑑定書の結論欄へ署名した。
「本品は、贋作です」