十二秒後の私
神楽綺更がオリオン写真館を予約したとき、人数欄には「二名」と入力していた。
二十九歳の誕生日に、同棲していた恋人と写真を撮るつもりだった。ところが一週間前、恋人は部屋を出た。予約を取り消そうと何度も画面を開き、キャンセル料がかからないことまで確認したのに、指が動かなかった。
当日、綺更は一人で来た。店主は人数を尋ねず、予約票の〈二〉へ細い線を引き、隣に〈一〉と書いた。椅子は二脚用意されていたが、一脚を壁際へ戻し、残った一脚を背景の中央へ置く。
撮影台の脇には、真鍮の小さなセルフタイマーがあった。赤い目盛りが十二秒まで刻まれ、ぜんまいを巻くと、かすかな音を立てて戻っていく。
綺更は、昨年の写真を思い出した。恋人の肩へ寄り、画面の端に収まっていた。旅行も食事も、二人分でなければ意味がないと思っていたわけではない。ただ、一人分を予約する方法を忘れていた。
店主はカメラへセルフタイマーを取りつけ、ぜんまいを巻いた。シャッターを押す代わりに、綺更の手のひらへ小さなレバーを向ける。自分で始めろ、とは言わない。ただ、始動する場所を渡した。
綺更がレバーを倒すと、十二秒が動き出した。
最初の三秒で姿勢を正し、次の三秒で髪を触った。七秒目に、誰も隣へ来ないことが急におかしくなった。十秒目には笑っていた。作った口角ではなく、間に合わない自分への笑いだった。
シャッターが切れる。
店主はもう一度撮るかを指で示した。綺更は首を振った。画面に出た一枚は、肩の片側に少し余白がある。店主はそこを切り詰めず、正方形の台紙の中央へ収めた。
会計では二名分の予約金を一名分へ直し、差額を古い硬貨皿へ置いた。写真は一枚だけ、誕生日用の銀色の封筒に入れる。封筒の宛名欄には、綺更の名だけが書かれた。
店を出て、綺更は予約アプリを開いた。恋人と行くはずだった温泉宿が、まだ二名のまま残っている。取り消す代わりに、一名へ変更した。料金は少し高くなった。
確定ボタンを押すと、待ち時間は十二秒もなかった。
一人になった記念ではない。一人で予定を始め直した、最初の写真になった。