十円ずつの通帳
櫛比良岳久は、購買で毎日十円ずつ残した。
百円のパンを買わず、家から持ってきたおにぎりを食べる。越路森佳久はその姿を見ると、電子決済の利用額を見せた。
「十円を気にする生活って疲れない? うちは小遣い、月十万だけど」
岳久は小さな通帳へ数字を書いた。家でも小遣いは定額で、創業家の子だからと一円多く渡されることはなかった。使途は月末に自分で集計し、余りは必ず地域基金へ入れていた。
商業科の授業で、高校生向け事業コンテストが行われた。佳久は高級会員制カフェを提案し、「お金を持つ人だけ相手にしたほうが儲かる」と発表した。
岳久の案は、商店街で使える十円単位の地域積立だった。買い物の端数を子どもの学用品や高齢者の交通費へ回す仕組みで、佳久は壇上から笑った。
「十円集めて、何億になるんだよ」
最終審査の日、地域最大の銀行グループの頭取が現れた。頭取は岳久へ一礼した。
「櫛比良理事、実証結果をお願いします」
櫛比良家は、地方銀行、証券、保険会社を束ねる創業家だった。岳久の祖母が会長、父が頭取。本人も財団の高校生理事として、一年前から地域積立を試していた。
十円ずつ集まった総額は、すでに一億二千万円。参加者は三十万人を超え、誰にも負担感のない奨学基金になっていた。
佳久は声を上げた。
「親の銀行を使っただけだろ」
頭取は首を振る。
「システムの考案者は岳久です。銀行は特許使用料を支払い、全国展開します」
契約書に記された岳久の報酬は、佳久の自慢した小遣いを何十年分も足した額だった。それでも岳久は、今日も十円を通帳へ記す。
審査員は佳久の企画について、会員候補の所得情報を本人の許可なく集めていた点を指摘し、失格とした。資料は父の会社の顧客名簿から持ち出されたものだった。
岳久は最後の十円を募金箱へ落とした。
銀行会長が全国導入の承認印を押し、画面に〈基金受益者・百万人見込み〉と表示される。
硬貨が箱の底で小さく鳴った瞬間、佳久が笑った十円は、彼の大声よりはるかに大きな未来を動かした。