午前二時の呼び出し先
午前二時、絹葉の電話が鳴った。
「お父さんがトイレへ行けないの」
母の声は泣きそうだった。絹葉はベッドから起き、まず父が転んでいないか、意識はあるかを聞いた。緊急ではないと分かると、契約している夜間対応サービスの番号を伝えた。
「あなたが来たほうが早いでしょう」
実家まで車で四十分。母は絹葉が一人暮らしだから、夜は自由だと思っている。翌朝の仕事も、運転の危険も、「娘が来る安心」の前では見えなくなった。
「今夜は行かない。番号に電話して」
「家族なのに、他人を呼ぶの?」
絹葉は枕元のメモを見た。先月、ケアマネジャーと一緒に作った夜間連絡表。赤字で〈転倒・意識障害・強い痛みは救急〉、青字で〈排泄・体位交換は夜間対応〉と書いてある。母にも同じ紙を冷蔵庫へ貼った。
それでも母は、専門職へ電話する前に絹葉を呼んだ。「娘の声を聞けば安心するから」と言われると、断る側が父母を不安にしているように感じた。けれど安心のために毎晩待機すれば、絹葉の睡眠は誰にも守られない。
「他人じゃなくて、頼んでいる専門職だよ。私へ電話するのは、サービスにつながらなかったとき」
母は黙った。受話器の向こうで父が「無理なら朝でいい」と言う。絹葉は胸が痛んだが、車の鍵には手を伸ばさなかった。
母と一緒に番号を読み上げ、電話を切る。十五分後、母から〈来てもらえた〉とメッセージが届いた。
絹葉 よかった。明日の昼に電話する
母 ごめんね
絹葉は〈大丈夫〉と書きかけて消した。大丈夫ではなかった。眠気も罪悪感も残っている。
絹葉 次も最初に夜間対応へ電話してね
送信して、端末をおやすみモードへ戻した。緊急連絡だけは鳴る設定にする。
翌日の昼、母へ電話すると、父は無事に朝食を取ったという。母は「夜の人、慣れていて助かった」と言った。
絹葉は安堵しながら、夜間連絡表の自分の番号を三番目のままにした。親を見捨てないために、一番最初に呼ばれる人であり続ける必要はなかった。