午後六時十二分の拍手
白峰知紗は、体育館の床に手のひらをつけた。
午後六時十二分。文化祭前日の最終練習で、軽音部が最後の曲を始める時間だった。
客席には誰もいない。椅子は壁際に積まれ、ステージの照明も作業用の白だけ。知紗は最前列の床へ座り、スピーカーではなく、板を伝う振動を待った。
ドラムの一打目が、掌に届く。
強い。少し走っている。
ステージ上で伏見玄が叩いていた。彼は曲の途中、何度も知紗を見た。見ても演奏の感想は分からないのに、確認せずにはいられないらしい。
知紗は親指を立てた。
玄は安心して、次のフィルを一つ失敗した。
曲が終わる。音が消えたあとも、床にはしばらく細かな震えが残った。
玄がステージから飛び降りてくる。口の動きが速すぎて、知紗は眉を寄せた。
彼は息を整え、今度はゆっくり話した。
「新しい曲。どうだった」
「二番、速かった」
「分かるの?」
「床は正直」
玄は悔しそうにスティックを見た。それから知紗の隣へ座り、同じように床へ手を置く。
「何も感じない」
「もう終わったから」
「本番、届くかな」
知紗は答えず、玄の手首を取った。自分の掌の下へ彼の手を重ねる。
舞台ではベース担当が片づけのため弦を一度はじいた。低い振動が板を走り、重ねた手へ届く。
玄が目を見開く。
「こんな感じ?」
知紗は頷いた。
翌日の本番、客席は満員だった。知紗は昨日と同じ最前列に座ったが、床へ手をつく必要はなかった。周りの足踏み、手拍子、歓声が、全身へ押し寄せた。
最後の曲で、玄は二番を走らなかった。
演奏が終わると、客席中が立ち上がった。知紗も手を叩いた。自分の拍手の音量は分からない。それでも玄はステージから、まっすぐ彼女を見つけた。
彼はスティックを一本置き、両手で尋ねた。
――届いた?
知紗は笑って、覚えたばかりの手話で返す彼に、同じ形を大きく返した。
――うるさいくらい。
午後六時十二分に一度だけ共有した床の震えが、その日の体育館全部を揺らしていた。