圏外の屋上
十二時二十分。竹芝晴壱は社屋一階のカフェで、有働珠里へ送った。
〈雨だから屋上はやめよう。ロビーで待つ〉
未読。
昼休みは十二時半まで。二人が話せるのは十分だけだった。社内恋愛を隠して一年、晴壱の異動が決まり、珠里は「今日、答えを出す」と言った。
胸ポケットには白いシャツの予備ボタンがある。半年前、会議前に取れたものを珠里が縫いつけてくれた。そのとき余った一個を、彼女は「次に壊したとき用」と笑って持ち帰った。未来を当然のように口にした、最後の日だった。
十二時二十三分。既読はつかない。
カフェの窓を雨が太く流れる。晴壱は二杯目の水を飲み、向かいの空席に紙ナプキンを一枚だけ置いた。珠里は緊張すると、その角を細く折る癖があった。短い文を打った。
〈異動先には一人で行く。これ以上、待つ関係はやめよう〉
送信する指が止まる。
屋上は圏外になりやすい。けれど珠里が雨の中で待つはずはない、と晴壱は決めつけた。彼女はいつも現実的で、濡れることを嫌う。
十二時二十六分、送信。未読。
エレベーターが一階へ着いた。扉が開くが、中は空だった。晴壱は異動先の人事面談へ向かうため、地下階のボタンを押す。
扉が閉まる直前、携帯が震えた。
〈屋上にいる。圏外で送れなかった。雨でも、最初に約束した場所を変えたくなかった〉
続けて写真が届く。珠里の掌に、白い予備ボタンが載っている。
〈返すためじゃない。次に壊したときも私が直したいって言うために持ってきた〉
送信時刻は十二時二十一分。九分遅れだった。
晴壱は開くボタンを押した。エレベーターは一階で再び扉を開ける。屋上行きに乗り換えれば、まだ間に合う。
その瞬間、上から下りてきた別の籠の表示が「R」から「12」へ変わった。珠里もまた、待つのをやめて下り始めたらしい。
二人のエレベーターは、途中ですれ違う。
晴壱は胸ポケットのボタンを握った。自分のシャツには、もう同じものがついている。
十二時二十九分。晴壱が〈屋上へ戻って。今度は俺が待つ〉と送ると、さっきの別れの文と同時に既読がついた。
十二時三十分。彼は地下二階を取り消し、屋上の「R」を押した。