塩のないスープ

 調理師学校の卒業試験で、嘉手苅侑芽は鍋の湯気を一度だけ嗅ぎ、火を止めた。

 根菜の甘い香りの奥に、強い塩気がある。計量した量ではない。

「また失敗?」

 隣の台で和泉田耀が笑った。

「君の料理って地味だから、味くらい濃くしたほうがいいよ」

 耀は実習のたび侑芽の包丁を隠し、班の失敗を彼女のせいにした。今日の試験は、系列ホテルの研修枠を決める最終審査だった。

 残り二十八分。作り直せば、盛付けまで間に合うか分からない。

 侑芽は鍋を捨てなかった。審査台へ運び、担当教員に申し出た。

「第三者が調味料を加えた可能性があります。この鍋は提出せず、最初から作り直します」

「証拠は?」

「今はありません。でも、この味をお客様には出せません」

 最初の鍋には、祖父の畑で形が悪くなった蕪を無駄にしないため考えた配合が入っていた。耀はそれを「貧乏くさい」と笑い、試作ノートを何度も勝手に開いた。侑芽は汚された一皿へ執着せず、同じ味をもう一度作れるかが料理人の力だと自分に言い聞かせた。

 新しい鍋を火にかける。玉葱を薄く切り、短時間で甘みを出すため鍋底へ広げる。焼いた蕪を加え、出汁を少しずつ伸ばした。耀は先に皿を完成させ、余裕の顔で腕を組んだ。

 終了ベルの三秒前、侑芽は最後の一皿を審査台へ置いた。

 審査員の料理長は、耀のスープを一口飲んで眉を寄せた。次に侑芽の皿を味わい、何も言わず二口目をすくう。

 採点後、教員が天井のカメラ映像を開いた。試験場では衛生事故防止のため、各調理台を真上から記録している。

 侑芽が冷蔵庫へ向いた十七秒間、耀の手が隣の台へ伸びた。計量皿の塩を一杯、侑芽の鍋へ落としている。

「自分の塩を置き間違えただけです」

 耀が言う。

 電子秤の履歴には、耀の受験番号で塩が二回量られた記録が残っていた。一回分は自分の鍋、もう一回分は映像の時刻と一致する。

 料理長が採点票を置いた。

「和泉田耀は試験妨害で失格。系列ホテル研修の首席推薦は、料理を捨てず、客へ出せない理由まで説明した嘉手苅侑芽とします」