売られなかった詩
榊原梢乃は、古書店・冬青舎へ、亡くなった従姉の詩集を返しに来た。市販された本ではない。コピー用紙を二つ折りにし、青い糸で綴じただけの薄い冊子だった。表紙には題名もなく、裏に冬青舎の貸出印が一つ押されている。
従姉はこの店の常連で、棚を借りて自作の詩を置いていた。売れた冊子は三年間で四部。梢乃はその数字を知っていたから、従姉が亡くなったあと、残った箱を処分しようとした。誰にも読まれない言葉を保存することは、本人の失敗を長引かせるように思えた。従姉を美化するために、売れなかった事実まで隠すのも違う気がした。
けれど箱の底から、この一部だけが出てきた。貸出印の日付は、従姉が入院する前日だった。誰かが借り、戻したのか。従姉自身が店へ預けたのか。店主は記録帳を探したが、該当する名前は見つからなかった。
梢乃は冊子を開いた。余白には感想も書き込みもない。詩は途中で終わり、最後のページには題名だけがあり、本文は空白だった。従姉は未完成のものを人に見せるのを嫌っていた。だからこれは、置き忘れか、間違いだったのだろう。
梢乃自身も文章を書いていた。従姉の死後、一行も書けなくなった。才能があっても読まれない人がいるのに、自分が続ける理由などないと思った。編集部から依頼された短い随筆も、締切を過ぎたまま断りのメールさえ送れていない。
店主は冊子を受け取ると、貸出印の横へ赤い「返却」の判を押そうとした。だが印面を紙へ下ろす直前で止めた。代わりに鉛筆で古い管理番号を消し、値札を一枚作った。金額は、店でいちばん安い文庫本と同じだった。
会計を済ませると、店主は冊子を包まず、青い綴じ糸が見える向きで紙袋へ入れた。売れ残りではなく、梢乃が選んで買った一冊になった。
店先で、梢乃は編集部へのメールを開いた。断りの文面を消し、「遅れてすみません。今夜、最初の一頁を送ります」と打った。空白の最終ページには、まだ何も書き足さなかった。続きを埋めるのは、従姉の役目ではなかった。