嫁が出ていく部屋
城戸和枝は、息子夫婦の新居に来るたび、真帆の物を勝手に動かした。
「このマンションは航が働いて買ったの。嫁の分際で広い部屋を使いすぎよ」
とうとう和枝は大きな旅行鞄を持ち込み、「今日から私も住む」と宣言した。真帆の仕事部屋を自室にするつもりらしい。航が合鍵を渡していないのに、管理人へ『母親だから』と迫って入館していた。真帆の机から書類を廊下へ出し、壁の家族写真まで自分の写真に掛け替えている。
「嫌なら、あなたが実家へ帰ればいいでしょう。どうせご実家は古い借家なんでしょ?」
真帆が返事をする前に、インターホンが鳴った。管理会社の担当者と弁護士が立っていた。
「白峰不動産信託の定期確認に参りました」
和枝は得意げに航を指した。
「所有者は息子です。話はそちらへ」
担当者は書類を確認し、首を振った。
「この最上階住戸の所有者は城戸真帆様です。正確には、白峰家の個人資産管理法人から真帆様へ贈与されています」
和枝は笑い飛ばそうとしたが、弁護士が登記簿を机に置いた。
白峰家は、都心のオフィス街と住宅地を広く保有する不動産一族だった。このタワーだけでなく、和枝が住む高級賃貸住宅も同じグループの所有だった。真帆の祖父が都市計画に関わり、最上階だけは孫が安心して暮らせるよう、法人名義のまま残していたのである。
和枝は真帆の服装を見直した。いつも飾り気がないのは買えないからではなく、自宅で誰にも見栄を張る必要がなかったからだ。
航が低い声で言った。
「母さん、購入したなんて僕は一度も言ってない。真帆のお父さんが、結婚祝いに住ませてくれたんだ」
「だったら、なおさら家族で使えばいいじゃない」
和枝は鞄を廊下へ押し込んだ。
真帆は机の引き出しから、以前から用意していた封筒を出した。
「家族として来るなら歓迎しました。でも、私を追い出して住む人には貸せません」
弁護士が和枝へ退去確認書を差し出す。
「無断占有の意思が確認されましたので、以後の入館登録は所有者権限で停止できます」
担当者が真帆の指紋認証を求めた。
真帆が指を置くと、玄関端末から機械音声が響いた。
『オーナー承認。城戸和枝様の入館権限を削除しました』