子どもの話をしたあと

結雨は、颯真からの連絡を待ちながら、最終バスを二本見送った。

昼の食事で、颯真が何気なく言ったのだ。「いつか子どもができたら、海の近くで育てたい」。結雨は子どもを望んでいない。嫌いなのではない。姪を抱けばかわいいと思うし、友人の出産も心から祝える。ただ、自分の人生に親になる未来を置けない。二十代の終わりが近づくほど、その選択を「今だけ」と扱われることに疲れていた。それを話せば、好きな人の希望を壊す。颯真が自分を選べば、彼から何かを奪うようで怖い。だから笑って話題を変えた。

二十三時十分、颯真がバス停まで来た。結雨の短い《少し考えたい》を見て、電話ではなく走ってきたらしい。

「寒いよ。帰ろう」

「気にしないで」

「何を?」

「昼の話」

「気にしてるから来た」

ベンチの両端には酔った会社員が眠り、前には車道。二人は小さな屋根の下から逃げられない。

「私、子どもはいらない」

「うん」

「颯真は欲しいでしょう」

「そう言うのが普通だと思って、考えずに言ってた」

「私に合わせなくていい」

「合わせるんじゃなく、初めて考えたい」

最終バスの案内が流れた。停留所の蛍光灯へ小さな虫が集まり、時刻表の「平日」欄だけが白く浮いている。結論を急かすように、運転手がハザードを点滅させた。乗れば会話は終わる。乗らなければ、結論の出ない夜が続く。結雨は、答えが違うことより、違いを口にした途端に愛されなくなることを怖がっていたのだと気づいた。颯真の顔には、正解を急ぐ色はなかった。寒さで鼻先だけが赤かった。

「気にしないで」と結雨はもう一度言った。

「それ、俺を会話から外す言葉だよ」

バスが到着し、扉が開く。運転手が二人を見た。

結雨は立ち上がったが、乗らなかった。

「気にしないで、じゃなくて、一緒に気にして。答えは今夜じゃなくていいから」

扉が閉まり、バスが去った。結雨はスマートフォンの予定表を開き、次の日曜に《話の続き》と入れる。招待先へ颯真のアドレスを選び、送信した。