存在しない証言

録音を再生してください――第三者委員の声が会議室に響いた。記者たちは全員、机の上から手を離した。空調の音まで急に大きく聞こえた。

勅使河原匡人の記事には、被災地の医師が「行政の支援は不要だ」と語ったことになっていた。だが医師は、その言葉を一度も口にしていない。

実際に取材したのは私だった。避難所を三日歩き、停電した診療所で医師の声を録った。匡人は原稿から私の署名を消し、刺激的な見出しと架空の発言を足した。編集局長である父親は、抗議を「現場の聞き違い」で処理した。

記事の翌週、支援物資は減り、診療所には「不要と言っただろう」という電話が殺到した。私は訂正を求めたが、匡人から渡された仕事は読者投稿の仕分けだった。「取材は向いてない」と笑われた。だから私は、録音も取材ノートも捨てなかった。

委員が私へ尋ねた。

「霧生さん、元の音源はありますか」

「あります」

私は録音機を置いた。医師は支援の必要性を繰り返し訴えていた。切れ目も雑音もない。続いてサーバー履歴が映され、発言を追記した端末と時刻が示された。

匡人は肩をすくめた。

「読ませるための編集ですよ。新聞はきれい事じゃ売れない」

編集局長が続けた。

「若手一人の将来を潰すほどの話ではない」

そのとき、記事に広告を出していた医療連合の代表が立った。

「潰されたのは現地の信頼です。霧生さんの取材ノートがなければ、私たちは訂正すらできなかった」

社長が資料を閉じた。編集局長が過去にも息子の誤報を三件隠し、訂正費用を別部署へ付け替えていたことが報告された。

「勅使河原編集局長は解任。匡人記者は捏造、盗用、虚偽説明により懲戒解雇。調査報道班の新しい責任者には霧生伊織を任命する」

匡人が初めて私を見た。

「俺の記事を、お前が奪うのか」

私は答えなかった。

午後三時、電子版の最上段に訂正記事が出た。署名は〈取材・霧生伊織〉

その下の人事欄には、勅使河原匡人の名前が〈退職〉ではなく〈懲戒解雇〉として載っていた。