家事代行の見積書
荻窪原康雅は、床に髪の毛を一本見つけただけで雲雀野綾月を呼びつけた。
「専業主婦の仕事は掃除だろ。業者ならクビだぞ。誰のおかげで飯が食えてる」
綾月は黙って拾い、掃除の手順をノートへ書き足した。
場所ごとの所要時間、洗剤の量、子どもやペットがいる家庭の注意点。家事を“気づいた人が無限にやるもの”ではなく、見積もれる仕事へ変えようと考えたのだ。
近所の高齢者宅から始め、依頼は二十件、百件と増えた。綾月は研修教材を作り、清掃員を正社員で雇い、保険と休暇制度も整えた。
康雅は、妻が近所へ手伝いに行っている程度だと思っていた。
ある日、彼の勤める高級マンション管理会社が家事支援サービスの選定会を開いた。最終候補の代表として現れたのは綾月だった。
「雲雀野ホームサービスは、三千世帯で利用されています」
年間契約は五億円。料金は安売りせず、清掃員の移動時間にも賃金を払う。事故率の低さと顧客満足度で、審査点は他社を大きく上回っていた。
康雅は会議で口を挟んだ。
「妻です。家では掃除が行き届かないこともあり、品質には疑問があります」
綾月は一枚の見積書を配った。
自宅の掃除、洗濯、料理、買い物、学校対応。会社と同じ単価で計算すると、月額四十八万円。康雅が家計へ入れていた生活費は十二万円だった。
「未払い分を請求するつもりはありません。その代わり、今後のサービス提供を終了します」
選定委員は全会一致で契約を承認した。一方、康雅は競合会社へ審査資料を漏らしていたことが発覚し、選定業務から外された。
綾月は自宅へ戻らず、新事務所で康雅へ離婚届を渡した。
「家が汚れるぞ」
「必要なら、うちのサービスを通常料金で申し込んで。審査に通れば担当者を派遣する」
綾月は役員報酬と自分名義の新居、子どもの生活計画を示した。経済的に頼る項目は一つもない。
五億円の契約書へ社印が押され、離婚届の提出日が確定した瞬間、康雅が無料の業者だと思っていた妻は三千世帯を支える経営者となり、彼の家だけが契約終了になった。