届かなかった進軍命令

支援魔術師レオムは、王国軍の伝令塔で十五年間、鐘の時刻を揃えてきた。

彼の術は命令文を強くも賢くもしない。ただ各地の水晶時計を同じ一秒へ合わせるだけだった。

将軍バルダックは、それを「時計番」と呼んだ。

「戦場で剣を抜かぬ者は削る。今日をもって国境司令部から退去せよ」

翌日、王国軍は川向こうの砦へ進軍した。

命令は単純だった。第三鐘で東隊が橋を渡り、五分後に西隊が援護する。

東塔の第三鐘が鳴った。

だが西塔の時計は七分遅れていた。東隊だけが橋へ入り、敵の弓を浴びる。遅れて西隊が動いたときには、撤退してきた東隊と橋の中央で衝突した。荷車が横転し、狭い橋は味方だけで塞がった。

敵は橋の向こうで矢を番えたまま、王国軍が自分で退路を塞ぐのを眺めていた。伝令が新しい命令を持って走ったが、東隊では「撤退」、西隊では「前進」が同じ第三鐘として読まれた。作戦は敵の反撃前に中止され、将軍旗だけが橋のこちら側に取り残された。

「鐘は鳴ったぞ! なぜ同時に動かない!」

参謀が時計を並べると、どれも違う時刻を示していた。

レオムは毎朝、百二十七個の水晶へ同じ魔力振動を流し、気温や距離で生じるずれを消していた。命令を運んでいたのは伝令だが、命令を同じ瞬間にしていたのは彼だった。

そのころレオムは、河口都市の防災局にいた。

大雨で堤防が危険水位へ達すると、彼が町中の鐘を揃えた。避難鐘、門の開放、荷車の出発が一秒の乱れもなく続き、住民は混乱せず高台へ移った。

総督ネイラは濡れた肩章を外し、彼へ防災時計長の章を渡した。

「一秒を軽んじる者は、千人を危険にさらす。ここでは君の一秒を預けてほしい」

避難後、町の鐘は一つも重ならず静かになった。住民名簿には行方不明者ゼロと記され、レオムの机には次の洪水期までの常勤契約が置かれた。剣を抜かない一秒が、軍旗より明確な成果になっていた。

夕刻、軍の伝令水晶が鳴った。

『橋を渡れない。直ちに司令部へ戻り、全塔を同期せよ』

レオムは新しい職章を水晶へ見せた。

「王国軍との勤務契約は、退去命令が下った時点で終了しています」