左利きの十二月

離婚後に借りる部屋の契約書を前に、由良はペンを右手へ持ち替えた。

その癖に気づいたとき、段ボールにしまった交換日記を思い出した。

由良は左利きだった。小学校では直されなかったのに、高校の書道教師から「社会に出たら恥をかく」と言われ、右手で書く練習を始めた。字は歪み、授業のノートを取るだけで腕が痛んだ。

隣の席の荻乃が、十二月の初日に薄いノートを渡してきた。

〈ここだけは左手で書くこと〉

交換日記の規則だった。

放課後、窓際でノートを渡すたび、由良の左の文字は少しずつ伸びやかになった。荻乃は右利きなのに、付き合って左手で返事を書いた。二人の頁は、読めないほど曲がっていた。

冬休み前、書道展の校内代表を決める日、由良は右手で書いた作品を提出した。整ってはいたが、自分の字には見えなかった。

荻乃は交換日記に、左手で大きく書いた。

〈上手に書ける手より、あなたが書きたい手を選んで〉

由良は翌朝、作品を取り下げた。代わりに左手で書き直した一枚を出した。代表には選ばれなかった。

それでも、提出棚へ置いたとき、初めて自分の名前を書けた気がした。荻乃は結果表を見ず、由良の左手だけを両手で包んだ。インクで汚れた親指を見て、「こっちの字、好き」と言った。

大人になってから、由良はまた右手を選ぶことが増えた。夫に合わせて住む町を決め、仕事を変え、食器の位置まで相手の使いやすい側へ寄せた。どれも小さな譲歩だったが、気づけば自分がどちら側に立ちたいのか分からなくなった。

離婚を決めた夜、荻乃から届いた年賀状が段ボールの底にあった。今も彼女とは細く連絡が続いている。宛名は毎年、あの頃と同じ不器用な左文字だ。

不動産屋が「こちらへご署名ください」と言う。

由良は右手のペンを置き、左手で持ち直した。

線は少し震えたが、名前の最後まで自分の速度で書いた。

新しい部屋の鍵は、左の掌に受け取った。

十二月の冷たい金属が、昔のノートの角のように、確かにそこにあった。