差し戻し先不明係
宛先の課が存在しない書類は、差し戻し先不明係へ送る。青い綴じ紐を二重に結び、内容を読まず、庁舎西側の壁にある投入口へ入れる。三日後、書類は処理すべき職員の机へ戻る。返却先について異議を申し立ててはいけない。
市役所の福祉窓口に勤める雀部は、その係へ月に数件送っていた。古い課名で届く申請書、廃止された制度の請求書、差出人が何年も前に亡くなっている封筒。皆、青い紐を見れば黙って投入口へ運んだ。
ある夕方、介護住宅改修費の申請書が届いた。制度欄は十年前の様式で、担当課には〈在宅生活支援室〉とある。そんな部署は誰も知らなかった。
申請者は雀部の母だった。
日付は八年前。母が階段から落ち、実家へ手すりをつけたいと電話してきたころだ。雀部は新卒研修の最中で、業者を調べると約束したまま忘れた。母はその後施設へ入り、昨年亡くなった。実家もすでに売却している。
規則では内容を読んではならない。雀部は読んだことを誰にも言わず、青い紐を二重に結んだ。投入口へ入れると、壁の向こうで手すりを壁へ固定するような、短いドリル音がした。
三日後、申請書は雀部の机へ戻った。審査担当欄に彼の職員番号があり、申請者確認の印には〈在席〉と押されている。
差し戻し先へ異議は出せない。雀部は添付見積を確認した。工事内容は玄関から二階の彼の元の部屋まで、手すりを一本つなぐこと。施工日は今日。工事先住所は、売却後に更地になった実家だった。
昼休み、雀部は現地へ向かった。更地には黄色い規制テープだけが張られていた。ところが空中に木の手すりが一本、玄関の高さから二階へ向かって斜めに伸びている。階段も壁もない。作業員は誰もいなかった。
規則では現地確認後、完了印を押す。雀部は空中の手すりを握った。母の家にあった台所と同じ、少し油の染みた感触がした。上までたどると、何もない高さに自分の部屋のドアノブだけが浮いていた。
彼は庁舎へ戻り、完了印を押した。
翌朝、申請書は消えていた。机の右端に、青い綴じ紐が一本残っている。紐の途中には小さな木製の手すりが結ばれ、親指ほどの長さなのに、端から端まで誰かの手の跡で黒く磨かれていた。
雀部が触れると、二階から母が降りてくるときの、ゆっくりした足音が机の引き出しの中で始まった。