搭乗口で売られた名前
航空会社の旅客データ提供会議で、鷹栖玄は空港地上業務の委託社員として、搭乗アプリの同意画面を確認していた。買い手は免税店運営会社。旅先、座席、同行者から高額商品の見込み客を選ぶ契約だった。
提供対象は三万一千人。航空会社は、チェックイン時に広告利用へ同意を得たと説明した。契約額は二億八千万円だった。
玄はアプリの更新記録を投影した。同意チェック欄が追加されたのは午後三時三十一分。しかし旅客ファイルの受領証は午後二時七分。最初の便が離陸したのは二時二十分だった。
「同意欄がないうちに、名前が売られています」
営業責任者は、空港カウンターで口頭同意を得たと答えた。玄は当日の業務マニュアルを示した。広告利用の説明項目はなく、係員の端末にも記録欄がない。
提供ファイルには旅客氏名、便名、座席番号、購入金額、子どもの年齢まで残っていた。営業責任者は、免税店が搭乗券で知り得る情報だと主張した。
玄は一件を開いた。乗継便を変更した旅客の新しい行程が、変更受付の三分後に買い手へ追加送信されている。免税店が搭乗券から知った情報ではない。航空会社の予約システムから直接流れていた。
さらに法務確認印の時刻は午後三時四十分。同意画面の公開後だが、既にデータを渡した一時間半後だった。
玄の委託会社は空港業務の更新を控えていた。上司は発言を取り消すよう目で訴えた。
「飛行機は出発時刻を戻せません。同意も、提供後へ遡らせられません」
提供対象には、車椅子利用、宗教上の食事、単独渡航する未成年者といった特別対応情報も含まれていた。玄は、免税店の商品推薦に不要な列だけでも十二項目あると読み上げた。営業責任者は削除すると言ったが、買い手は既に全列の受領印を押していた。
航空会社社長が提供契約への署名を止めた。搭乗口を通った三万一千人の名前は、同意画面より先に二億八千万円へ搭乗できなかった。