改札の向こうの昼ごはん
資格試験へ向かう電車の中で、野宮すみれは弁当を忘れたことに気づいた。
シェアハウスの冷蔵庫に、青い布で包んだおにぎり弁当を置いたままだ。次の駅で戻れば間に合わない。諦めようとしたところへ、家のグループチャットが動いた。
この試験に落ちれば、次の募集は半年後だ。昨夜は緊張で眠れず、朝も受験票を三度確認した。そのせいで、冷蔵庫の取っ手に掛けた弁当だけが記憶から抜けた。
〈冷蔵庫の青い包み、なくなってる〉と大家の富樫。
〈俺じゃない。朝から部屋〉と雨宮。
猪狩だけが既読を付けない。
すみれは朝の光景を思い返した。玄関に置いた猪狩の自転車の鍵がなかった。雨上がりなのに、廊下には細いタイヤの跡が残っていた。そして今、スマートフォンに駅ロッカーの受取通知が届いた。差出人名は「昼ごはん」。
乗換駅で指定されたロッカーを開けると、青い包みが入っていた。まだ少し冷たい。上には、猪狩の丸い字でメモがある。
〈取りに戻ると思ったので、電車が出てから送りました。戻ったら遅刻するから〉
猪狩は同じ試験に昨年落ちている。すみれが今朝「弁当を忘れる人から落ちるんだろうな」と冗談を言ったとき、彼女は笑わなかった。
昨年の試験日、猪狩は空腹のまま午後の問題へ進み、簡単な設問まで読み違えたという。合格した人の励ましより、落ちた人の失敗談のほうが、今のすみれには頼もしかった。
電話をかけると、猪狩は息を弾ませて出た。
「勝手に持っていってごめん」
「駅まで自転車で?」
「試験の日、空腹だと問題文が全部敵に見えるから」
すみれはホームのベンチに座った。包みを開くと、梅おにぎりが二つ。さらに見覚えのないチョコレートが一枚入っている。
「これ、猪狩さんの?」
「去年の私にあげたかった分」
発車ベルが鳴った。すみれは電話を切り、急いで一つかじる。梅の酸っぱさで、眠っていた頭が目を覚ました。
メモの裏には、もう一行あった。青い布は急いで結び直したらしく、いつもの蝶結びが少し傾いている。その不格好さに、駅まで全力で走った時間が見えた。
〈いってらっしゃい。問題文は味方です〉
電車の扉が閉まる。すみれは残りを大事に包み直し、試験会場のある街へ進んだ。