暖炉に戻った小さな火

王国で最も恐れられた炎術師アデラは、辺境の廃屋で火打石を打っていた。

一度目。火花だけ。

二度目。湿った薪から白煙。

三度目。ようやく小さな火が立ったが、割れた暖炉壁から熱が漏れ、床の枯れ藁へ移りそうになった。

アデラはすぐ踏み消した。

戦場なら城門を溶かせる。けれど、夕食を作るだけの火を安全に囲うには、力より手間が要る。王都の者たちは彼女を「災厄」と呼び、平和になった途端、魔力封じの腕輪と廃農地を与えて遠ざけた。

彼女は割れた暖炉を見て笑った。

今日直すのは、ここだけ。国も、評判も、直さなくていい。

暖炉の奥には、かつての住人が子どもの背丈を刻んだ線が残っていた。火事になれば、それも消える。アデラは戦場で守れなかったものの数を思い出し、今度こそ火の居場所を正確に決めようとした。

崩れた耐火煉瓦を外し、煤を掻き出す。川辺から粘土を運び、砂と混ぜ、割れ目へ塗り込んだ。腕輪のせいで大火は出せないが、指先ほどの熱なら使える。粘土の内側だけをゆっくり焼き締めると、赤黒い壁が硬い音を返した。

煉瓦が冷えるまで待ち、掌を壁の外側へ当てる。熱は漏れていない。乾いた藁を近づけても焦げない。彼女は兵士へ見せる安全確認より何倍も慎重に、自分一人の夕食を守った。

夕暮れ、アデラは四度目の火打石を鳴らした。

火は薪へ移り、暖炉の中だけで橙色に育った。床へ逃げない。壁を焦がさない。彼女が掌を近づけても、火は命令を求めず、ただ温めた。

鉄皿に林檎を二つ並べ、蜂蜜を垂らす。皮がぷつりと裂け、甘い汁がじゅうっと煉瓦へ落ちた。焦げた蜂蜜と果実の匂いが、冷えた部屋を満たす。

その炎の中に、赤い文字が浮かんだ。軍用の火信だった。

『東部反乱。炎術師アデラに恩赦を与える。直ちに参戦せよ』

恩赦。まるで彼女が罪を犯したような言葉だ。

アデラは火箸で信号札を暖炉の外へ押し出した。燃やしはしない。返事もしない。今夜の火は、誰かを焼くためのものではない。

焼けた林檎を割ると、白い湯気が上がった。

城門を溶かしたときよりも小さな火を見つめながら、アデラは初めて、自分の力を怖がらずに匙を入れた。